瀬戸大橋関連
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瀬戸大橋を挟む宇野線の茶屋町駅から予讃線(当時は予讃本線)の宇多津駅の間31.0 kmが本四備讃線として開業(茶屋町駅 - 児島駅間は瀬戸大橋博の開催に合わせて3月20日に先行開業)し、前後の線区も挟んだ岡山駅 - 高松駅間に「瀬戸大橋線」の愛称が与えられた。なおこの段階で宇高連絡船の航路自体は廃止されず、1990年(平成2年)3月まで急行便が両岸住民の便宜を図って設定されていた。 これによって新設された旅客列車は下記の通り。 寝台特急列車「瀬戸」:東京駅 - 高松駅間(現サンライズ瀬戸) 昼行特急列車「しおかぜ」(5往復):岡山駅 - 松山駅・宇和島駅間 昼行特急列車「南風」(3往復):岡山駅 - 高知駅・中村駅 昼行特急列車「うずしお」(1往復):岡山駅 - 徳島駅 昼行快速列車「マリンライナー」(18往復):岡山駅 - 高松駅 その他普通列車 四国管内においても、かなり大規模なダイヤ改正となり、「しおかぜ」・「南風」が岡山方面への特急列車に移行した関係で高松駅発着の特急列車は「いしづち」・「しまんと」に愛称名を変更した。また高徳線では急行「むろと」、「阿波」が特急「うずしお」に格上げされた。予讃線・土讃線の急行列車に関しても一部列車が存続したが、大幅に特急列車に格上げされた。 なお瀬戸大橋線開業直前の4月1日には、中村線が土佐くろしお鉄道(中村線)に移管された。
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瀬戸大橋関連
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瀬戸大橋が開業する前、道路はともかく鉄道の利用客は少ないだろうと予測されていた。しかし実際に開業してみると、道路の方は通行料の高さが災いして宇高航路などを引き続き利用するドライバーが多かったことから予測の半分の交通量しかなかったのに対し、鉄道は盛況で「マリンライナー」の毎時1本を2本に増発しなければならなくなるほどになった。 瀬戸大橋を経由する岡山・高松間は、連絡船への乗り換え時間も含めて約2時間かかっていたものが1時間以下に短縮された。特に海峡を挟んだ児島と坂出の間はわずか15分で結ばれ、東京・横浜間より近い距離となった。 この結果、瀬戸大橋の開通は周辺の各都市間を完全に通勤通学の可能な区間とし、通常の買い物にも気軽に橋を渡って対岸のショッピングセンターを利用するようになった。また以前から宇高連絡船と宇野線を乗り継いで通学するものはいたものの、橋の開通によって近くなったことで、通勤・通学客が増加しており、岡山県から四国への通勤・通学客は1985年の687人から2005年に2,447人に、四国から岡山県への通勤・通学客は1985年の1,037人から2005年に2,287人といずれも大幅に増加している 。瀬戸大橋線には前述のように特急列車以外にも多数の快速列車や普通列車が設定された結果、地域の足として定着することになった。 一方、1998年(平成10年)に明石海峡大橋が開通し、四国から京阪神地区への所要時間は同大橋を経由する高速バスや乗用車を利用した方が大幅に短縮される例が生まれたために、中長距離客の一部は瀬戸大橋利用からのシフトが起こった。その結果、瀬戸大橋線の利用旅客数は減少傾向にある。その状況に対応するため、JR四国・JR西日本の両社はそれぞれ2003年「マリンライナー」に新型車両5000系、223系5000番台を導入している。一方で瀬戸大橋の鉄道部の中央部分に設備が用意されている四国横断新幹線については、実現の目処がまだ立っていない。
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