下津井電鉄線とは? わかりやすく解説

下津井電鉄線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 00:32 UTC 版)

下津井電鉄線(しもついでんてつせん)は、かつて岡山県倉敷市下津井駅都窪郡茶屋町(現:倉敷市)の茶屋町駅を結んでいた下津井電鉄鉄道路線である。


蒸気機関車

  1. ^ 実際には納車されなかったが、CTS-占領軍民間運輸局への申請が下津井電鉄に許可されていたたま、書類上は一旦同社籍となり、1950年1月25日に王子製紙(当初の納車先は王子軽便鉄道で、後に王子製紙春日井工場へ)に対して譲渡売却を行った旨の届出を提出している。

客車

  1. ^ 1923年7月にホロハ1から型式変更 1919年に発電機・蓄電池を取りつけたが1923年には撤去。
  2. ^ a b 1954年1月に電動車から直流電源による点灯へ変更。
  3. ^ 1919年に発電機・蓄電池取りつけ、1954年1月に電動車から直流電源による点灯へ変更。

ガソリンカー - 代燃動車

  1. ^ 1919年12月に型式変更、発電機・蓄電池取りつけ。
  2. ^ 1919年12月にホハ8からホハ7、1924年2月にホハフ4、1937年にホハ7に1954年1月に電動車から直流電源による点灯へ改造、さらに加藤型のホハフ7の廃車後の1956年にホハフと再三形式変更を繰り返した。

電化と気動車改造電車導入

  1. ^ 等級廃止までは2・3等の合造客車、1925年にホロハ4からホハ11、1951年3月にホロハIVからホハフ7に形式変更、1951年に電動車から直流電源による点灯へ改造されている。

新造電車導入

  1. ^ a b c 合造車時代はV4:6Vの窓配置で4窓の部分が2等室だった。
  2. ^ 赤穂鉄道時代のホハ50、1956年8月にホハ30から形式変更。
  3. ^ 赤穂鉄道時代のホハ54、1952年3月にホハ32から形式変更。

栗原鉄道からの車両譲受

  1. ^ a b c d 1932年2月16日に老朽化と出力不足のため40PSのA型に交換。
  2. ^ a b 廃車後、カハ1とカハ3は台枠・車体を背中合わせに接合してボギー電車クハ9に改造された。
  3. ^ 井笠鉄道に譲渡され客車第14号形 ジ13(後年は客車化されハ18に)となった。
  4. ^ 実際は下記の通り、鞆鉄道へ譲渡されて未認可のまま使用されたと見られる。
  5. ^ a b クハ5・6は1972年の路線短縮時に除籍された後、クハ5は下津井駅構内に、クハ6はおさふねサービスエリアに保存展示中。
  6. ^ a b クハ8・7はその後車体更新改造でクハ25・26となり、1972年の路線短縮時に廃車された。
  7. ^ 1943年1月19日に鮮魚台に木炭ガス発生装置を取りつけ、代燃動車として電化まで運行された。
  8. ^ 電車化後の変遷は「気動車改造電車の更新」の項を参照。
  9. ^ 1940年1月18日認可でカハ51に、1942年1月22日認可でカハ53・54に、1942年3月21日認可でカハ55に木炭ガス発生装置をそれぞれ取りつけ、代燃動車として改造され運行された。

気動車改造電車の更新

  1. ^ a b 営業成績の低下による路線短縮の方針が決まったため、更新工事を施されないまま廃車された。
  2. ^ 他のモハ50形と異なり未更新のまま改番されている。改番理由は不明。
  1. ^ 2代目社長となった永山久吉は、国会議員を務めるなど多忙であった初代社長の白川友一に代わって会社設立当時より下津井鉄道の事業全般の運営を担当しており、以後の歴代社長には彼の一族が就任した。
  2. ^ 初代社長となった白川友一は丸亀出身の実業家・政治家で、25年の在任期間中無報酬であったとされる。また、1950年の電化時にも丸亀側関係者の伝手で琴平参宮電鉄から電化に必要な機器や架線などを譲渡させており、丸亀側出資者達が下津井 - 丸亀航路の存亡に対して強い危機感を抱き、その維持のために下津井鉄道→下津井電鉄の存続に注力していたことが見て取れる。なお、白川は国会議員として軽便鉄道補助法の改正による補助金給付期間の延長にも関与しており、その面でも厳しい下津井鉄道の財政を支援した。
  3. ^ 両備鉄道コロハ1形→鉄道省ケホハ220形→赤穂鉄道ホハ50形→ホハ30形。オープンデッキとモニター屋根を備える古典的な木造2軸ボギー客車で、下津井の既存客車と同様、端梁に左右2つのバッファを備えるリンク式連結器を備えていて改造の必要がなかったことから譲受されたものと見られている。
  4. ^ 営業係数も急激に悪化し、1960年代後半には100を越え始め、部分廃止を実施した1972年には171まで悪化した。
  5. ^ これにより営業係数は劇的に改善され、一時は90台まで回復した。
  6. ^ 当初、7両が残されたが、これは新造制御車のクハ23をワンマン運転用の両運転台式電動車に改造するまでの間の単行運転用として、既存の両運転台式電動車であるモハ110が残されていたためであり、クハ23がモハ1001として改造完了後は、モハ110は長期休車からそのまま1977年に廃車となっている。
  7. ^ 『西部警察 PART-III』では犯人が逃走の際に電車に乗り込み逃走し、その後走行する電車の車内で犯人との間で銃撃戦を行うなどのシーンが撮影された。
  8. ^ この時期の営業係数は部分廃止直前をも上回る199(1988年度実績)を記録しているが、下津井電鉄自体の売上高に占める割合はわずか2 - 3%前後と微少で、当時岡山 - 児島間の旅客輸送を事実上独占し売上高の2/3を占めていた路線バス事業の利益で赤字補填が可能な規模であったため、存続が許されていた。
  9. ^ 日本に輸入された最後のクラウス製蒸気機関車は1914年3月完成の塩原軌道Cであった。
  10. ^ 代燃炉の燃料である木炭も入手が困難となり、後述するように自社での工場建設を強いられた。
  11. ^ その構造的な特徴や外観から、明らかにオーレンシュタイン・ウント・コッペル社製機関車をデッドコピーしたと考えられる車両で、メーカーでは1948年7月に完成した。このことから、電化計画立案直前に発注され、電化計画が持ち上がったことで急遽中止となったことがわかる。
  12. ^ 下津井電鉄に発注を取り消された後、この機関車は同型機 (No.7) を購入していた王子製紙苫小牧工場専用鉄道へ引き取られて同社No.8となり、さらに同専用鉄道の廃止を目前に控えた1950年にNo.7と共に日本車輌製造で1,067mm軌間用に改造の上で同社春日井工場へ移動、そこで入れ替え機として使用された。
  13. ^ 近隣の鞆や井笠も同時期に釜石製鉄所より余剰蒸気機関車を購入している。
  14. ^ Hanomag:正式名称はハノーファー機械製作所 (Hannoversche Maschinenbau A.-G.) で、日本ではハノーヴァあるいはハノーファーなどの名で呼ばれることが多い。
  15. ^ 赤穂鉄道時代のホハ52、1952年3月にホハ31から形式変更。
  16. ^ ジ1形1・2。1927年製。
  17. ^ 縦型6気筒 排気量315Cuin≒約5,160cc 公称出力41.78kW≒約56馬力/1,000rpm 定格出力約45馬力。
  18. ^ 縦型6気筒 排気量381Cuin≒約6,240cc 公称出力73kW≒約97馬力 定格出力約78馬力。
  19. ^ 現在のJR吉備・津山線、および中鉄バスの前身。
  20. ^ ウォーケシャ6RB。縦型6気筒 排気量677Cuin≒約11,100cc 定格出力85馬力。
  21. ^ Waukesha Motor Co., 現ドレッサー社ウォーケシャエンジンディビジョン (Waukesha Engine Division. Dresser,Inc.)。
  22. ^ 本鉄道の電力供給は電化以来全線廃止まで、下津井駅に設置された変電施設によって賄われたが、ここには日本国内で地方鉄道用として現役で使用されていたものとしては確認されている限りでは最後の1台となる「回転変流機」(定格出力150kW)がシリコン整流機の導入される1987年11月まで主用され続け、ガラス槽水銀整流機(定格出力160kW)も同年まで残されていた。ただし、熊本市交通局大江変電所に設置されていたゼネラル・エレクトリック社製回転式変流機1台は2007年11月中旬まで予備扱いながら現役だったほか、動態保存として明治村に北陸鉄道より寄贈された1台が現存している)。
  23. ^ 額面上は一見気動車時代の約1.5倍となるが、連続定格出力を示す内燃機関とは異なり1時間定格で示されるため、単純比較する場合は約1割減の108馬力として計算する必要がある。ただし、電動機の場合は短時間のピーク出力は絶縁部材の耐熱性能が許す範囲で1時間定格よりも高く設定でき、運用上の実効出力差はより大きなものとなる。
  24. ^ クハ6 - 8についてはラッシュ時等の客車併用時に備え、モハ50形と同様、下津井寄りにバッファつきねじ式連結器を併設した。
  25. ^ この改造台車のデザインは、奇しくも国鉄10系客車の履くTR50系台車に類似していたという。ただでさえ華奢なパーツを組み合わせた物ゆえ強度に難があり、車体・台車共に脆弱で衝撃に弱かったため専ら朝夕の増結用にしか使用されないなど運用には制限があった。
  26. ^ この時代の機械式気動車の場合、先頭車の運転台から各車に対して総括制御を行う手段が存在せず、各車に乗務した運転士が先頭車から送られるブザーの合図に合わせて変速などの操作を実施していた。このためタイミングがずれると大きな衝動が各車間に発生し、また最悪の場合にはエンジンストップに至ることもあった。
  27. ^ このほか、両社共に電化時に貨物用のみならず客車牽引を考慮した設計の電気機関車を導入しており、そのコンセプトは旧態依然のままであった。
  28. ^ ナニワ工機NK-91。
  29. ^ モハ1両に対してクハが2両製造されたのは、電動車が比較的多数(この時点で7両)在籍していたのに対し、輸送需要を考えるとその倍はあってもおかしくはない制御車が運用に制限のあるクハ21やクハ9を含めても6両しかなかったのと、折り返しの際につけ替え作業が必要な非電化時代の遺物の木造客車を置き換えるためと考えられる。
  30. ^ 鮮魚台を含めたモハ50形の全長とほぼ同一である。
  31. ^ モハ101-クハ21も当初は車体全周に渡る張り上げ屋根と埋め込み式の雨樋を備えていたが、後に通常の屋根に改造されている。
  32. ^ 最初のモハ51→モハ104の時には本来の車体と全く同一工法での旧乗務員扉の撤去・鮮魚台部分への運転台移設・片運転台化・車体延伸が実施された(窓配置は3D7D3となった)ため、ウインドヘッダー・ウインドシル共にリベット留めでやや古風な趣であったが、それ以降は基本的にはモハ104に準じるもののウインドヘッダーの前面部とウインドシルが溶接に変更され、すっきりした感じに改良された。
  33. ^ このうちモハ101・102については使用頻度が極端に低かった下津井方運転台の撤去による片運転台化が先行して実施されている。またサハ1は路線短縮までほぼ原型のまま残され、クハ9などと共に既存の気動車改造電車と組んで使用された。
  34. ^ 路線短縮前はモハ102-サハ3-クハ22で固定編成となっており、短縮時にモハ104-サハ2-クハ25との間で中間車の入れ替えが実施されている。入れ替えが行われた理由は不明だが、車齢の若いサハ3よりもサハ2の方がより本格的な更新改造を受けており、今後の使用に堪えると判断されたためと見られる。
  35. ^ 窓配置の変更は、後述のモハ103-クハ24同様に車体側板を部分的に切り抜いて位置を入れ換える手法で行われた。台車も住友製鋳鋼台車からモハ50形廃車発生品のNK-91に換装され、またかつてのモハ50形同様、貨車牽引に備えて従来の簡易式連結器の真下にバッファつきねじ式連結器が追加搭載されている。
  36. ^ 廃車後、モハ110の車体は全線廃止までの間特製のヘッドマークをつけて鷲羽山駅の待合室として使用されていた。
  37. ^ 具体的な改造内容は、車体側板から左側前頭部寄りのd2D1の部分を切り抜き、同様にして右側前頭部寄りの側面から切り抜いた1D2dの側板と位置を入れ換えて1D2d5D3とした後、不要となった旧乗務員扉の部分に幅の狭い1段サッシ窓を取りつけるというもの。本来6枚の扉間窓の両端に位置した引き戸の戸袋窓の部分が先頭に来たため、左右とも運転台両脇に戸袋窓が来る形となった。
  38. ^ ただし跳ね上げ開閉式だった前面窓は、1984年ごろにクハ23→モハ1001ともども固定窓に改造されている。
  39. ^ 各車間の連結器は棒連結器であったが、サハ2201には列車運行上必要な機器は一切搭載されておらず、抜き取り可能であった。
  40. ^ a b “岡山の軽便鉄道「下津井電鉄」の廃客車リノベ企画始動 クラウドファンディングで資金調達”. 乗りものニュース. (2017年1月18日). https://trafficnews.jp/post/63385/ 2017年2月11日閲覧。 
  41. ^ 下津井みなと電車保存会作業報告 - 2017年1月の箇所を参照
  42. ^ a b .「下津井電鉄客車移設プロジェクト」ご報告 - 鷲羽山下電ホテル
  43. ^ 『下津井電鉄客車移設プロジェクト』 移設日のご案内 - 鷲羽山下電ホテル
  44. ^ 【下津井電鉄】客車移設プロジェクト - facebook(2017年12月4日を参照)


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