瀬戸大橋開通後 - 末期とは? わかりやすく解説

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瀬戸大橋開通後 - 末期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 18:15 UTC 版)

下津井電鉄線」の記事における「瀬戸大橋開通後 - 末期」の解説

1988年瀬戸大橋開通機にほど近い下津井電鉄では観光鉄道への転身図った琴海駅交換設備復活させて増発備えとともに奇抜なメルヘン調レトロデザインの冷房展望電車2000系メリーベル号」3両編成1本を新造した。児島駅移転新築下津井駅構内整備鷲羽山駅メリーベル導入により余剰となった車両流用した待合室設置どの様々な改良工事はじめとしてイベント列車運行などの増収策も図られた。 しかし目当て観光客のほとんどは四国瀬戸大橋自体流れたそもそも乗換駅となる下電児島駅JR児島駅とが1km程度大きく離れているなど立地条件不利な上、沿線瀬戸大橋眺望できる区間鷲羽山周辺ごくわずか区間限られることから、下津井電鉄目を向ける客はわずかであった。また期待していた瀬戸大橋関連バスツアー1988年開催され瀬戸大橋博覧会来場客一部しか立ち寄らず、さらにJR瀬戸大橋線児島 - 岡山間をわずか30分で結ぶようになると、自社バス部門高収入路線であった児島 - 岡山線乗客急速に減少し、さらに自社開設した瀬戸大橋経由岡山四国を結ぶ都市間高速バス主として瀬戸大橋通行料金高額さに起因する運賃高額さなどから失敗終わったため、鉄道赤字補填することが困難になった。また、瀬戸大橋建設工事のために建設され資材搬入道路整備され湾岸道路などが一般開放されて下津井周辺の道路状況改善され路線バスへの代替可能になったこともあって鉄道線その歴史使命終え1990年限り全線廃止された。 モハ2001+クハ2101 メリーベル号(下津井駅1990年クハ2101+モハ2001 メリーベル号(下津井駅1990年クハ24+モハ103 フジカラー号(下津井駅1990年

※この「瀬戸大橋開通後 - 末期」の解説は、「下津井電鉄線」の解説の一部です。
「瀬戸大橋開通後 - 末期」を含む「下津井電鉄線」の記事については、「下津井電鉄線」の概要を参照ください。

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