航路沿革
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1905年(明治38年)9月11日 - 山陽汽船が大韓帝国への外国航路として下関 - 釜山間に「関釜連絡船」を隔日1往復で新設。京釜線が全通していた事に伴う。壱岐丸が就航。 1905年(明治38年)11月1日 - 対馬丸が就航し毎日運航となる。 1906年(明治39年)12月1日 - 鉄道国有法によって国有化され、鉄道院の運営となる。 1910年(明治43年) - 韓国併合に伴い、国内航路扱いになる。 1943年(昭和18年)7月15日 - 下関港の容量不足と輸送力の増強の目的から、博多 - 釜山間に「博釜連絡船」新設。 1943年(昭和18年)10月5日未明 - 関釜連絡船の崑崙丸がアメリカ海軍の潜水艦ワフーの魚雷直撃を受け沈没(死者行方不明者583人)。以後、夜間航行が自粛される。 1945年(昭和20年)6月頃 - 船舶の空襲による被災と対馬海峡の封鎖により事実上消滅。 1949年(昭和24年)4月12日 - 航路閉鎖。
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