航路沿革とは? わかりやすく解説

航路沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 01:28 UTC 版)

関釜連絡船」の記事における「航路沿革」の解説

1905年明治38年9月11日 - 山陽汽船大韓帝国への外国航路として下関 - 釜山間に「関釜連絡船」を隔日1往復新設京釜線全通していた事に伴う。壱岐丸就航1905年明治38年11月1日 - 対馬丸就航し毎日運航となる。 1906年明治39年12月1日 - 鉄道国有法によって国有化され鉄道院運営となる。 1910年明治43年) - 韓国併合に伴い国内航路扱いになる。 1943年昭和18年7月15日 - 下関港容量不足輸送力増強目的から、博多 - 釜山間に「博釜連絡船新設1943年昭和18年10月5日未明 - 関釜連絡船崑崙丸アメリカ海軍潜水艦ワフー魚雷直撃を受け沈没死者行方不明者583人)。以後夜間航行自粛される。 1945年昭和20年6月頃 - 船舶空襲による被災対馬海峡封鎖により事実上消滅1949年昭和24年4月12日 - 航路閉鎖

※この「航路沿革」の解説は、「関釜連絡船」の解説の一部です。
「航路沿革」を含む「関釜連絡船」の記事については、「関釜連絡船」の概要を参照ください。

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