航路開設と盛大な歓迎
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1923年(大正12年)の紀元節である2月11日午前9時、市民の盛大な歓迎を受け第一便が出港した。第一便の長崎丸には一等65人、三等95人の乗客が乗り込んだほか、41個の郵便物、砂糖90トン、鮮魚1.000トン、海産物10トン、雑貨28トンの貨物が積み込まれた。航路開設に伴い投入された長崎丸と上海丸は、英国のウィリアム・デニー社造船所にて建造された姉妹船で、最高速力は約21ノットと当時としては快速の貨客船であった。 就航を待ちわびていた長崎市民の関心は高く、5月5日には出島岸壁の隣接地にて開通祝賀会が催され海軍F5飛行艇による祝賀飛行などが催された。その他にも市内各所で航路開設を記念した美術展、物産展の開催や商店街での大売り出し。旗行列、提灯行列、花電車の運行、ペーロン大会が行われ、祝賀ムード一色となった。 当時、長崎~東京間の所要時間が36時間、運賃も船賃と鉄道運賃を合わせて12円だったのに対し、本航路は所要時間26時間、運賃18円(3等)であった。 なお、同年の9月1日に発生した関東大震災では、長崎丸・上海丸共に被災地への物資輸送及び避難民の移送(東京→神戸)へと徴発され、本航路も9月5日から11月18日まで休止となっている。
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