航路開拓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 09:17 UTC 版)
それまで幕府代官所などが管轄する年貢米を奥州から江戸へ輸送する廻米には、本州沿いの海運を利用し、危険な犬吠埼沖通過を避け、利根川河口の銚子で川船に積み換えて江戸へ運ぶ内川江戸廻りの航路が使われていた。幕命により瑞賢は、飯岡時代の教訓から、寛文11年(1671年)に阿武隈川河口の荒浜から本州沿いに南下、房総半島を迂回し伊豆半島の下田へ入り、西南風を待って江戸に廻米し、新たな航路である外海江戸廻りの東廻り航路を開いた。さらに翌年には、奥羽山脈を隔てた最上川の水運を利用し、河口の酒田で海船に積み換えて日本海沿岸から瀬戸内海を廻り、紀伊半島を迂回して伊豆半島の下田に至り、西南風を待って江戸に廻米し、西廻海運を確立した。また、途中の寄港地を定めて入港税免除や水先案内船の設置も行うことで海運の発展に尽力した。
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