関釜連絡船として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 03:43 UTC 版)
鉄道省関釜連絡船は山陽鉄道時代の1903年(明治36年)9月11日開設され、1904年(明治37年)12月鉄道国有化とともに鉄道院に引き継がれた。日本の大陸進出が盛んとなるに連れ乗客・貨物は増加し、こと1932年(昭和7年)に「満州国」が建国されると更なる輸送力の増強に迫られた。 このため1936年(昭和11年)10月三菱重工業長崎造船所で建造された金剛丸に次ぐ姉妹船として1937年(昭和12年)1月に建造されたのが興安丸である。石炭焚き蒸気タービン推進動力、交流電源システムなど、主要な性能や外観・内部設備は金剛丸と共通しているものの、金剛丸がモダンな中に朝鮮様式を踏まえた装飾を施されたのに対し、興安丸は日本・中国の様式を取り入れ、ロビーには南満州鉄道から寄贈された興安嶺の油絵を飾った。
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