1944年11月-1945年5月 佐世保鎮守府作戦指揮下
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「第二十二号海防艦」の記事における「1944年11月-1945年5月 佐世保鎮守府作戦指揮下」の解説
1944年11月1日、呉に帰投した第22号海防艦は呉海軍工廠で入渠修理を行う。同日佐世保鎮守府作戦指揮下に編入。軍隊区分機雷部隊に配置。修理終了後の19日、鎮海へ回航。第十八戦隊による黄海での機雷敷設を警戒。 12月18日、雲龍の前路掃蕩を実施。21日、軍隊区分臨時特別S部隊第一掃蕩隊に配置。対馬沖で対潜掃蕩に従事。29日、佐世保に入港。臨時特別S部隊第一掃蕩隊から除かれ、軍隊区分機雷部隊に復帰。 1945年1月1日、機雷部隊の隊内区分警戒隊に配置。1月18日、南西諸島緊急輸送に従事。第二輸送部隊として特設砲艦長白山丸を第58号駆潜艇と護衛して石垣島へ向け佐世保発。28日、石垣島着。29日、第二輸送部隊は物資積み込みのため基隆へ向け石垣島発。30日、基隆着。 2月2日、砂糖とアルコールを積載し、タモ40船団を護衛して内地へ向け基隆発。途中泗礁山を経由して、12日門司着。2月下旬、第十八戦隊による大隅諸島機雷礁の構築を警戒。 3月5日、奄美大島に対する緊急物件輸送のため第十八戦隊の諸艦と佐世保発。12日、佐世保沖で第十八戦隊から分離し、男女群島沖の対潜掃蕩に従事。13日佐世保に帰投。20日、機雷部隊から除かれて佐鎮護衛部隊に配置。同日、サイ05船団を護衛して富江発。28日、佐世保に帰投。 4月15日、佐世保で第十八戦隊と合同。22日、第十八戦隊司令官の将旗を常磐から本艦に移揚。作業地に向け佐世保を出撃。23日、伊万里湾で第十八戦隊司令官の将旗を本艦から済州へ移揚。同日作業地へ向け伊万里湾を出撃。25日、第三十一海防隊に編入。本艦は第十八戦隊の護衛を継続。26日、伊万里湾で第十八戦隊司令官の将旗を済州から本艦に移揚。 5月8日、八幡浜で第十八戦隊司令官の将旗を本艦から常磐へ復帰。9日、佐伯へ回航。15日、佐世保海軍工廠で修理を行う。5月下旬、対馬海峡東水道機雷礁の構築を警戒。
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