1944年10月 連合艦隊作戦指揮下とは? わかりやすく解説

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1944年10月 連合艦隊作戦指揮下

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 13:46 UTC 版)

第二十二号海防艦」の記事における「1944年10月 連合艦隊作戦指揮下」の解説

1944年10月17日第一海上護衛隊作戦指揮下に編入18日佐世保から徳山回航19日連合艦隊作戦指揮下に編入軍隊区分第一機動主力部隊配置21日、、第29海防艦、第33号海防艦と共にたかね丸(日本海運10,021トン)を護衛して奄美大島へ向け徳山発。25日奄美大島古仁屋着。28日内地へ向け古仁屋発。30日、たかね丸がウルフパック攻撃により被雷し、大破放棄された。第22号海防艦現場でたかね丸乗員収容中北緯3025東経13300分 / 北緯30.417度 東経133.000度 / 30.417; 133.000の地点艦首方向浮上潜水艦、すなわち爆雷戦で損傷し浮上したサーモン発見し、他の護衛艦報告しつつ全速追いかけた。第22号海防艦慎重に状況判断するまで短時間距離を維持した第22号海防艦からの報を受けて、第33号海防艦助太刀向かいつつあった。そして、一時の中、反転したサーモン第22号海防艦500メートルもない至近距離派手な砲撃戦銃撃戦を展開。第22号海防艦サーモンの距離は一時50メートルにまで縮まった第22号海防艦の方が乾舷が高いので、よく被弾した。また、サーモン20ミリ機銃小口機銃射撃第22号海防艦乗員4名が戦死し24名が負傷した艦橋部分激しく被弾し指揮系統大い乱れた。この時になって第33号海防艦追いつき、挟撃態勢持ち込んだサーモンは第33号海防艦にも砲撃行いつつ友軍潜水艦に対して戦闘位置連絡しスコール利用して燃料流しつつ戦場離脱した第22号海防艦艦首大きく沈み排水作業行いつつ11月1日に呉に帰投右舷側にはサーモンとの激戦の痕を示す無数の弾痕残された。大破したサーモンもまた逃げ切り一緒に行動していた米潜スターレットトリガーと、シルバーサイズ の護衛によりグアム後退。後にハワイ経由してアメリカ本土帰還したサーモンポーツマス修理行ったが、二度と前線に出ることが無かったまた、放棄されたたかね丸は米潜スターレット攻撃沈没した

※この「1944年10月 連合艦隊作戦指揮下」の解説は、「第二十二号海防艦」の解説の一部です。
「1944年10月 連合艦隊作戦指揮下」を含む「第二十二号海防艦」の記事については、「第二十二号海防艦」の概要を参照ください。

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