1944年 - 1945年噴火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:48 UTC 版)
「有珠山」の記事における「1944年 - 1945年噴火」の解説
「昭和新山」も参照 有珠山東麓では太平洋戦争中の1943年(昭和18年)末から地震が続き、1944年(昭和19年)に入ると壮瞥町の東九万坪と呼ばれる地域で次第に地盤が隆起しはじめた。6月23日についに水蒸気爆発が発生し、その後も爆発を繰り返した。この噴火では降灰による窒息で幼児1名が死亡している。 もとは標高100 m あまりの台地だったところが、潜在ドームの形成により250 m ほどの山となり、11月中旬になると火口から溶岩ドームが現れ始めた。この潜在ドームと溶岩ドームは翌年9月まで成長を続け、標高は400 m を超えた。この新山は田中館秀三により昭和新山と名付けられた。
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