1944年 - 1945年
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「フォート・ドラム (エル・フレイル島)」の記事における「1944年 - 1945年」の解説
詳細は「フィリピンの戦い (1944-1945年)」を参照 1945年のマニラの戦いにおいて、フォート・ドラムはマニラ湾における日本軍の最後の抵抗拠点となった。守備隊として配置されていたのは、1944年10月24日に沈没した戦艦武蔵の元乗員ら65名だった。彼らはアメリカ軍によって包囲された後も降伏を拒否し、小火器や迫撃砲を用いて抗戦を続けていた。 4月14日、フォート・ドラムへの上陸が実施された。これに参加したのは米第38歩兵師団(英語版)所属の将兵で、師団長補のロバート・H・ソウル(英語版)大佐が攻撃の指揮を執った。ソウル大佐指揮下の歩兵68名は、デリックとはしけを増設した揚陸艇を用いてトップデッキに登り、日本軍守備隊を要塞の奥深くへと追い込んだ。そしてトップデッキの通気孔から5,000ガロンのガソリン混合燃料を流し込み、600ポンドの爆薬がセットされた。アメリカ兵達が退避した後、時限式ヒューズを用いて点火されたフォート・ドラムは大爆発を起こした。巨大なコンクリート塊と鋼鉄製の防爆扉が数百フィートもの高さまで吹き飛ぶほどの爆風だったという。その後、フォート・ドラムは数日間も燃え続け、内部の調査に着手するのは14日後になってからだった。守備隊の日本兵全員が焼き殺され、生存者は1人もいなかった。一方、アメリカ側の被害は揚陸艇で接近する際に狙撃され、軽傷を負った兵士3名のみだった。 1945年2月頃のフォート・ドラム フォート・ドラムに突入するアメリカ兵 フォート・ドラム爆破の瞬間
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1944年 - 1945年
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「バターン (空母)」の記事における「1944年 - 1945年」の解説
日本軍との初期の交戦で、「バターン」の艦載機は1944年4月21日から24日までホーランディア、ニューギニアへの攻撃を行った。その後、トラック島、サタワン環礁、ポナペへの攻撃(4月29日 - 5月1日)、サイパン、マリアナ諸島への攻撃(6月11日)、第一次小笠原諸島攻撃(6月15日、16日)、マリアナ沖海戦(6月19日、20日)、第二次小笠原諸島攻撃(6月24日)に参加。 その後、「バターン」は修理のために本国へ帰還。修理の完了後、第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)に加わり、沖縄攻略支援(1945年3月17日 - 5月30日)に従事する。この間に「バターン」の艦載機は4月7日に戦艦「大和」攻撃に参加した(坊ノ岬沖海戦)。4月18日には.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯26度42分 東経130度38分 / 北緯26.700度 東経130.633度 / 26.700; 130.633の水域で潜水艦を攻撃して撃沈を報じ、この潜水艦は「伊56」と判断されたが、「伊56」はおそらく4月18日より前に駆逐艦「ハドソン」(USS Hudson, DD-475)に撃沈された。 「バターン」はフィリピンに後退し、第3艦隊(ウィリアム・ハルゼー大将)に合流して日本本土攻撃に従事する(7月10日 - 8月15日)。「バターン」はジェラルド・F・ボーガン(英語版)少将率いる第38.3任務群に加わる。同部隊は「バターン」の他、「エセックス」、「タイコンデロガ」、「ランドルフ」および「モンテレー」で構成された。7月14日と15日には函館および青函連絡船を攻撃したが、天候情報収集に飛び立った艦載機2機が行方不明となった。
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