Hudsonとは? わかりやすく解説

Hudson


Hudson

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/23 00:27 UTC 版)

Hudson
ブラウザ上で動かしたHudsonデモ
最新版
3.4.0 / 2016年9月2日 (9年前) (2016-09-02)
プログラミング
言語
Java
対応OS クロスプラットフォーム
サポート状況 アーカイブ済み
種別 継続的インテグレーション
ライセンス MITライセンス
公式サイト projects.eclipse.org/projects/technology.hudson
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HudsonJavaで実装され、 Apache TomcatGlassFishなどのServletコンテナ上で動作する継続的インテグレーションツールである。HudsonはCVSSubversionなどのバージョン管理システムツールをサポートし、Apache AntApache Mavenで管理されているプロジェクトのタスクを実行したり、シェルスクリプトやWindowsのバッチファイルを実行することができる。

ビルドcronのようなスケジュール機構、他のビルドが完了した場合、あるいは特定のビルドURLがリクエストされた場合などによって実行される。

HudsonはSun Microsystemsの下でオープンソースとして開発されていたが、2010年OracleによるSun買収によりコミュニティが離脱、商標問題へと発展した。最終的にコミュニティはJenkinsという名称でのフォークを行った[1][2]

2011年5月3日、Eclipse FoundationはHudsonの中心コミッターであるオラクル、ソナタイプや他のコミュニティサポーターと共にHudsonを中核コードと問題のある商標含めてEclipse Foundationに移行する正式な提案を行った[3]。Hudsonを作った川口耕介はオラクルがJenkinsの検証を移行するのを確認し、「我々がオラクルと妥協点を見つけるために話しあった時、彼らははっきりとした形で商標保持を放棄するつもりはないという意思を持っていた。しかし、この移行でオラクルはJenkinsプロジェクトと共に保持することができないことをはっきり認めたようなものだ。」と述べている[4]。川口はまた、オラクルが著作権の合法的な再割当てやEclipse Foundationへの移行にあたりHudsonの知的財産を全て再ライセンスできるのか疑問を呈した。

2012年末にプロジェクトはgithubからEclipse Foundationへ移行した。その後、いくつかのリリースが行われたが、2016年のリリースを最後にプロジェクトはアーカイブされた[5]

脚注

  1. ^ 商標で米Oracleと合意できなかったHudsonコミュニティ、「Jenkins」への名称変更を含めた今後の計画を提案”. SourceForge.JP (2011年1月13日). 2011年12月1日閲覧。
  2. ^ Hudson、Jenkinsに改名”. InfoQ (2011年2月6日). 2011年12月1日閲覧。
  3. ^ Eclipse Foundation proposal”. 2011年5月3日閲覧。
  4. ^ “Oracle hands Hudson to Eclipse, but Jenkins fork seems permanent”. InfoWorld. (2011年5月4日). http://www.infoworld.com/d/application-development/oracle-hands-hudson-eclipse-jenkins-fork-seems-permanent-021?page=0,1 2011年8月10日閲覧。 
  5. ^ Eclipse Hudson” (英語). Eclipse Foundation. Eclipse Foundation. 2025年11月3日閲覧。

外部リンク


ハドソン

(Hudson から転送)

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株式会社ハドソン: Hudson Soft Company, Limited)は、1970年代から2012年まで存在した、日本のソフトウェア開発・販売会社。最初はマイクロコンピュータ向けゲームソフトのほか、実用ソフト、プログラミング言語の処理系の開発を得意とし、1983年頃から家庭用ゲーム機向けゲームソフトを主力とするようになり、メーカーとの家庭用ゲーム機ハードウェアの共同開発やゲーム機周辺機器の開発も行った。本拠地は北海道札幌市平岸で、1970年代から2004年まで本社も平岸にあったが、2005年からはコナミ株式会社(現・コナミグループ)の完全子会社となり本社も東京に移していた。

概要

札幌のパソコンショップとして創業
1973年[1]5月18日、工藤裕司とその弟、工藤浩により、札幌市豊平区に通信機器と美術写真の販売を目的とした「有限会社ハドソン」として創業[2]。同年9月にはアマチュア無線ショップCQハドソンを開店[2][3]
1970年代後半にパーソナルコンピュータソフトウェアの制作で頭角を現し、1978年には日本で初めてパソコン用のゲームソフトウェアを通信販売した[4]。1980年代初頭には高い技術力でパソコン向けソフトメーカーの大手となる。シャープMZシリーズのBASICインタープリターHu-BASICや、X68000のOSであるHuman68kやそのグラフィカルのシェルであるビジュアルシェル等も開発した。
ファミコンソフトのメーカーとして急拡大
任天堂ファミリーコンピュータを発表した際、まだブームになっていない時点から接近を図り、任天堂初のサードパーティとなった。以降家庭用ゲーム機向けソフト開発がメインとなる。自由な社風の元、独自の企画を行っていた。特に「ハドソン全国キャラバン」や「高橋名人」は人気児童誌で積極的にタイアップされ、当時の子供世代にとっては抜群の知名度を誇る。
PCエンジンなどの開発
一方で自社でのハード開発にも乗り出しており、日本電気ホームエレクトロニクス株式会社(現:日本電気株式会社)と組み、1987年にはハドソンが独自に設計開発したCPU、サウンドチップ、画像処理チップなどC62システムと呼ばれるHuC62シリーズを搭載した家庭用ゲーム機『PCエンジン』を発表。ソフトメーカーながら高い技術力の片鱗を見せた。
1992年には、将来を担う最新テクノロジーの研究開発部門として、芸術の森アートビレッジ内に「ハドソン中央研究所」を設立。1994年12月に発売した、PCエンジンの後継機種である次世代ゲーム機『PC-FX』の音源や動画処理などのチップセットもHuC62シリーズが採用された。
1997年には、トレーディングカードの企画・開発・販売事業に乗り出し、同年4月にパイロットショップ「フューチャービー」を開店する。
資金繰り悪化で、コナミに吸収合併
1997年11月に、メインバンクの北海道拓殖銀行が破綻して以降は資金繰りが難航して経営が悪化した。2001年にコナミ(現:コナミグループ)が筆頭株主になり、2005年には子会社化。その後、2011年にコナミの完全子会社になり、翌2012年にはコナミの「SNS分野におけるビジネスチャンス拡大に向け、グループのデジタルエンタテインメント事業の中核会社であるKDEに経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」という方針に伴い[5]、KDEに吸収合併され、法人としてのハドソンは解散した。
その後は、ブランド名としてハドソンの名が残されていたが、2013年年末に同ブランドが名実共に消滅する事となり、2014年1月よりコナミブランドに統一されている。

歴代の事業拠点

長年の本拠地、研究所、事業所・支店

平岸がハドソン創業の地であり、2004年まで本社があった。

平岸のビル

所在地は札幌市豊平区平岸3条5丁目4-22[6] (現・平岸グランドビル本館)[注 1]。地上7階建てのビルディング。株式会社平岸グランドビルが所有し[7]、区画あるいはフロアに区切り賃貸しているビルディングである。1982年8月時点では平岸グランドビル2階の201号室がハドソンの事務所で202号室が店舗という状態であった[8]。その後ハドソンは成長とともに同ビルで借りる区画を増やし、フロアを増やし、全盛期は平岸グランドビルで数百名のハドソン社員が勤務する状態になり、全ハドソン社員のほとんどはここにいる状態になった。ちなみに(株)平岸グランドビルの平岸グランドビル新館は1994年9月に竣工した[9]。新館の所在地表記も本館と同じ5丁目4番22号である[注 2]。ハドソンは1995年なかごろにはゲームの取説の奥付などで「平岸3条5丁目4番22号ハドソンビル」と表記するようになっていた[10]

2005年に東京に本社を移転した時は札幌支社となるが、その時点ではまだ北海道にも拠点があり2009年4月より北海道本社に改称。2011年5月からは札幌事業所に改称され、KDEへの吸収後も残ったが、2014年10月に閉鎖。

ハドソン中央研究所
ハドソン中央研究所

将来を担う最新テクノロジーの研究開発部門(コア・テクノロジー事業部)として1992年に札幌芸術の森アートビレッジ内に設置された。所在地は北海道札幌市南区芸術の森3丁目。鉄筋コンクリート造、地上3階建。ゲーム機用半導体開発、ゲーム開発環境の整備などを行っていた。カスタムチップのHuC62シリーズもここで開発された。:『PC-FX』などに向けた映像処理や音源関連の基礎テクノロジー開発もここでおこなわれた。また1997年に育成散歩計『てくてくエンジェル』を開発し、日経産業新聞優秀賞を受賞。その他にも筑波大学の徳永隆治らと共同で画像圧縮技術「Hybrid Vector Quantization」(HVQ)及び動画圧縮技術「HVQM」を開発した。

事業所や支店

ハドソンの全盛期には、東京、大阪名古屋福岡等にも事業所あるいは支店が置かれていた。

  • 東京事業所 - 1982年3月に東京都千代田区麹町に開設。 1985年6月に新宿区市谷田町へ移転。市谷田町に札幌市時計台を模した東京支社ビルを擁していた。
  • 大阪支店 - 大阪府大阪市中央区東心斎橋1丁目1番10号 大阪料理会館ビル5階
  • 名古屋事業所 - 愛知県名古屋市中区4丁目2番10号 小浅ビル6階

衰退して以降、2009年以降の本社

  • 東京都港区赤坂9丁目7番2号 ミッドタウン・イースト
2009年4月から2011年4月末まで、2本社体制となり、本社となった

(登記上の本店は東京本社)[11]

歴史

開業前

蒸気機関車好きの兄弟の兄が大学卒業後名古屋でサラリーマンをしたが、北海道に帰郷

創業者の工藤兄弟は北海道ニセコ町出身。二人はともに蒸気機関車のマニアで、蒸気機関車の追っかけをしていた[12]。兄の裕司は日本大学理工学部在学中に、自ら撮りためた蒸気機関車の写真を売るための会社「グループハドソンプロダクション」を設立したが、うまくゆかなかった経験がある[12]。『新・電子立国 4』によると兄は大学を卒業すると名古屋油圧関係の会社に就職したが、サラリーマン生活に嫌気がさし退職し北海道に戻り[12]北海学園大学に通学している弟が暮らしている札幌市平岸のアパートにころがりこみ[13]、札幌で商売自営しようと考えていた[13]

なお他の情報では、上記のサイドビジネスにおいて、資金管理に関して無知だったために、信頼していた人間に金を持ち逃げされるなどトラブルを多く抱え、本業も退社し、失意の内に帰郷することになった[要出典]

札幌にて兄弟でCQハドソンを開店

1973年5月18日、札幌市豊平区に通信機器と美術写真の販売を目的とした、有限会社ハドソンとして創業[2]。同年、札幌市平岸の弟のアパートの近所で、元リンゴ畑所有者で土地成金になった人が新たに6軒の店舗が入居できる商業長屋を建築中だと知り、兄はその商業長屋の1店舗分を借りて喫茶店を経営しようと考えた[13]。当時、喫茶店の経営が流行していたからでもあり[13]、また、喫茶店の経営者なら大好きな蒸気機関車の追っかけをまたできそうだと考えたからだった[14]。ところがその商業長屋の一軒を借りる予定の別の人が喫茶店を経営すると先に決めており、長屋の大家が6軒中で2軒が同じ業種になることに難色を示したので[15]、弟が当時、無線に熱中していたので、兄はとりあえず無線機販売店を経営する、と方針転換し、弟に無線技師の国家試験受験を急がせて資格を取得させ[15]アマチュア無線ショップCQハドソンを開店した[13][3]

店名のCQハドソンの「CQ」はアマチュア無線用語である。後ろの「ハドソン」は蒸気機関車の車軸用語であり[12]、工藤が最も気に入っていた蒸気機関車「C-62(シーロクニ、シロクニ)」の車軸配置「4-6-4」の愛称、"ハドソン" が社名・店名になった[3]。また、ハドソンの代表電話の下4ケタは4622[16]ハドソン東京営業所の入り口が駅風の看板がある事も似たような理由による[要出典]

工藤兄弟の無線機販売店「CQハドソン」の店内面積は約10[15]ショーウィンドウ無線機を並べ、店の奥には小さなレジがあり、その奥には無線機の修理の場所として使える小さな工作机がある、という店だった[17]

弟は、脱サラした兄に誘われて無線機販売店を始めたわけだが[18]、経営はうまくいかなかった[19]。弟によると、誘った兄は蒸気機関車の追っかけに熱中し店の仕事をしてくれなかったので、弟は、まだ大学生なのに、店の経理営業を担当し四苦八苦していた[19]。無線機はほとんど売れず、たまに売れても利幅が薄くて利益が出なかった[19]。店で待っていても客は来ないので、弟は商品の無線機を車に積んでアマチュア無線愛好家の集まりに出かけて出張販売したが、苦労が多く利益は少なかった[19]

兄のマイクロコンピュータへの着眼と執念

兄の裕司は、薄い利幅の商売ではなく付加価値をつける商売をするべき、と考えて、目をつけたのがコンピュータだった[20]。北海道においても、当時出回りはじめたマイクロコンピュータの研究会が開かれるようになっていたが[20]、裕司にはマイクロコンピュータが何なのか理解できず、情報も無かったので秋葉原にも行ってみたが店員は理解不能な専門用語を並べて威張るばかりだった[21]。そこで裕司は、アメリカへ行ったほうがマイクロコンピュータのことが分かるだろう、と考えた[21]

店の経営がうまくゆかずお金が無くて困っているのに、突然アメリカに行くと言いだした兄に対して弟は怒り、兄弟喧嘩になったが[21]、兄弟の父親が「そこまで言うんだったら行かせてやれ」となり、なけなしの金をかき集めたり父親からも少しお金を借りたりして渡航費用を捻出し[21]、兄はアメリカへ行き、電器店スタンフォード大学研究所、知人などを訪ね歩いてマイクロコンピュータの最新知識を吸収した[21]。兄がアメリカで気づいたことは、アメリカは先へ行っているということで、西海岸のパソコンショップではカセットテープ入りのソフトウェアが1本あたり20ドル前後で売られているのを見て、日本でも1本あたり2000円か3000円で売ったら儲かる、そして付加価値をつける商売をするにはソフトウェアを自分で作るしかない、と兄は考えた[21]。このアメリカ行きで兄は、マイクロコンピュータの時代が来た、マイクロコンピュータ用のソフトウェアがこれから商売になる、と実感し、まずは自分でソフトウェアをつくってみることにした[22]

そして兄はアメリカでPOLY-88英語版という、当時の日本円で200万円もするコンピュータを、クレジットカードを何枚も使って買ってきた[20]。このマイクロコンピュータは当時のものとしても高額のもので、世界初のパソコンとされるAltair 8800のキットの価格が397ドルで当時の日本円で14万円だったのでPOLY-88はその14倍の値段である、と『新・電子立国 4』の著者は指摘した[19]

アメリカから帰国した兄はPOLY-88を店の奥の机の上に置いて、毎日、朝から夜9時までそれに没頭し、トイレに立つとき以外は席から立たない生活を数ヶ月も続けた[23]。弟は無線機販売店の店内でコンピュータに没頭している人は邪魔だと思い兄を店舗の2階に追いやったが、兄は2階に追いやられてもPOLY-88と格闘しつづけ[14]、まずPOLY-88の使い方を覚え、次にプログラミングを身につけ、ついにゲームソフトを自分で書き始めた[14]。当初書いたソフトウェアとしては、本で読んだ「スタートレック」ゲームがあった[24]

パソコンショップへの変貌と若者を使ったソフト開発の開始

自分でソフトウェアを書けるようになった兄は、店で無線機だけでなくマイクロコンピュータも販売しようと弟に提案した[24]。弟には反対されたが兄は店を次第にパソコンショップへと変えていった[24]。1975年のことだった。

当時はパソコンショップは少なかったので、店は札幌のパソコン好きの若者が集う場所になり、兄はその若者の中からプログラミングの才能がある人を見つけてソフトウェアを書かせて、そのソフトウェアをコンピュータのおまけとすることでコンピュータの販売台数を増やすことを企んだ[24]。これは弟に対して「ソフトウェア開発が大切だ」という大義名分ともなり、兄は店に集まった若者たちと一緒に毎日ソフトウェア開発に没頭し、たとえば「サルも木から落ちる」「医は算術」「ハドソンBASIC」「オセロ」「パチンコ」「アルデバラン」など30タイトル以上をつくった[18]。そのころに店に集まった若者のひとりに、北海道大学工学部の学生で大学研究室の大型コンピュータでプログラミングを学んだ中本伸一がおり[25]、彼は紙をつかわずとも頭の中でプログラムのアセンブルが出来、ビジュアルでダイナミックなゲームソフトを短時間で書ける天才肌の人物だった[25]。たとえばキャラクタを回転させる技術を使ってゲーム開発してみようという話になり兄と中本が開発し翌日に見せあって比べてみたら、兄が書いたのは水泳コースの端で泳者がターンするだけの退屈な水泳ゲームだったのに対し、中本が書いたのは「ヤシの実落とし」ゲームで、主人公は石を投げてサルがヤシの実をとろうとするのを妨害するが間違って地面が無いところに行くとクルクルとコミカルに回転して落下するゲームを書いていた。兄は中本の才能を見て、才能ある若い人にまかせたほうが良いゲームソフトが生まれると判断し、自分はプログラミングから手を引いた[25]

この時期のCQハドソンの資力は乏しく、CQハドソンが自社所有しているマイクロコンピュータは2台だけだったので、新機種向けのソフトウェア開発をする場合は顧客が購入したコンピュータを納品日の前の晩にこっそり開梱しそれを使って朝までソフトウェア開発を行い、当日朝に再度きれいに梱包して納品し、さらに別の客に納品する同機種でソフト開発の続きをする、ということも行った[26]。つまり顧客に所有権があるコンピュータをこっそり自社の開発環境として使わせてもらうということも行った[26]

ソフトは店頭販売も行っていたが、ローカル都市のいちショップであり、このころまでのハドソンは全国的にはほとんど知られていないマイナーな存在だった。

通信販売の開始と大飛躍

1979年に転機があった[27]。創業から7年目の出来事だった[27]。CQハドソンではシャープのMZ-80を販売していたが、そのメーカーであるシャープがハドソンに対してソフトウェアを通信販売することを勧めたので、月刊マイコンの昭和54年(1979年)7月号で、CQハドソン開発によるソフトウェアの通信販売開始の広告1ページを掲載し、「スロットマシン」「ローン計算」「ヤシの実落とし」など約20本のソフトの一覧表を載せ、連絡先、および料金の支払い方法には現金書留あるいは銀行振込があることを記した[27]。すると注文が殺到し、毎日、郵便局から郵便配達員が、現金書留の封筒を大量に入れた白い郵便袋をかついでやってくるようになり、金額にすると毎日30万円から40万円が束になって店に届くようになった[27]

あまりに売れるので恐ろしかった、と『新・電子立国』の取材で弟が当時を振り返って証言したように、大量に売れるので、CQハドソンはソフト入りカセットテープの複製に使うカセットテープ・ダビング装置から「ピー、ガー」音が連日聞こえる場所になり、ソフトをコピーするためのカセットテープをメーカーから大量に仕入れることになり単価がとてつもなく安くなり原価はタダ同然になり[28]、ハドソンには巨額の利益が転がり込むようになった[28]。売上は1億、2億、4億...と倍々ゲームで増えてゆき、ハドソンは日本を代表するソフトウェアメーカーになり[13]、一時期は、東京・秋葉原や大阪・日本橋などの電気街で販売されるソフトウェアの約9割がハドソン製という状態になった[13]

ただし、当初は主にシャープMZシリーズ、X1シリーズ用のBASIC(Hu-BASIC)などを手掛けており、NECPC-8000シリーズ用のソフトは開発していなかった[29]。そのためシャープのユーザとNECのユーザでハドソンの認知度に差があった。

ソフトバンクとの独占契約

1981年には孫正義率いるソフトウェア流通会社である日本ソフトバンクと独占契約を結び、上新電機を始めとする全国の主なパソコン販売店の店頭でソフトウェアが販売される体制を確立した。ハドソンは、孫正義率いるソフトバンクの経営がかんばしくなかった時期に孫正義に賭けるような判断をし、ソフトバンクを救った。孫正義は現在も工藤兄弟を「恩人」と呼び、事ある毎に礼を欠かしていない[30]

家庭用ゲーム機ソフトの開発

弟のファミコンへの着眼によりファミコンソフト市場へ参入

1983年7月15日に任天堂ファミリーコンピュータを発売したが、 『新・電子立国 4』によると、弟がある日デパートでファミリーコンピュータを発見し[31]、専用コントローラで画面の主人公が迅速に反応して自由に動き回り現実感があるのを見て「これが次の時代の中心となるゲーム機だ」とひらめき[31][注 3]、ハドソンのソフト開発はパソコン向けからゲーム専用機向けにシフトすべきだと考え兄に相談したところ、兄も賛成し[31]、任天堂に連絡すると任天堂にとっても「渡りに舟」の状態で[31]、任天堂はサードパーティに前金を支払ってもらい絶対に自社は損しないビジネスモデルでROMカセットを生産できる契約の枠組みが作ってあり任天堂としては断る理由がなかったので、話がトントン拍子に進んだという[31]。ファミコン向けにどのようなゲームソフトを開発したらよいか、ハドソンの天才肌のプログラマ中本伸一に相談したところパソコンゲームの「ロードランナー」の改造が良いと提案され、開発が進み、弟はこれは人気ソフトになると予想し任天堂に150万個発注することにして、その個数だと任天堂に支払う前金が数十億円になるので銀行の協力を仰ぎ、いわば社運をファミコンソフトに預けるような決断をした[31]。弟はこの時期、神経をすり減らして胃薬の世話になったが、結果は大ヒット作となりすぐに100万本売れ、販売累計140万本となった[31]。次のソフト「ナッツ&ミルク」も大ヒット作になり、ハドソンはパソコンソフトメーカーからファミコンソフトの代表的なメーカーへと変貌した[31]

なお、ハドソンはこの時期にファミコン向けBASIC言語ファミリーベーシック』も共同開発し、ファミコン発売の約1年後の1984年(昭和59年)6月21日に発売となった。

事実上、初のサードパーティーとなったことで、初期参入会社と同様に、任天堂からソフトの年間発売制限数の緩和やロイヤリティなどの優遇措置を受けることになり[32]
ヒット作を連発して大成功

他社と決定的に違ったのは、社内に自由な空気があり、そのおかげで積極的に独自の企画を生み出せたことである[要出典] 。全国各地を巡業するゲーム大会「ハドソン全国キャラバン」や、16連打でスイカを割る「高橋名人」は小学館の『コロコロコミック』を筆頭に児童誌でも大々的に取り上げられた。

PCエンジンには『原人』シリーズや『桃太郎』シリーズ『天外魔境』シリーズ『ボンバーマン』シリーズ等の代表的な作品・シリーズだけでなく『R-TYPE』『イースI・II』など極めて完成度の高い移植も手掛けている。初めての分野や技術にも積極的に挑戦し、1988年12月には世界で初めてCD-ROMを媒体としたゲームソフトを開発・発売した他、2000年8月にはコンシューマーゲーム初のMORPGルーンジェイド』を発売した。
その他にも『スーパー桃太郎電鉄III』や『桃太郎電鉄7[33]がミリオンを達成したり、1998年の時点でボンバーマンシリーズが累計販売本数1000万本を突破する[注釈 1]など、様々なプラットフォームでゲームソフトを供給するソフトメーカーの雄として存在を示した。
2005年にコナミの子会社となった以後も、吸収されるまでゲームソフトの供給を続けており、2008年発売のWii用ゲームソフト『DECA SPORTA Wiiでスポーツ"10"種目!』は全世界累計約277万本[34]を販売し、以後シリーズ化された。

家庭用ゲーム機「PCエンジン」の開発

本来、技術者の集団ということもあり、任天堂のサードパーティーとして、ファミコンブームの立役者としての立場に甘んじる事無く、独自のハード作りにも乗り出した。

1987年に日本電気ホームエレクトロニクス(NEC HE)と共同開発した家庭用ゲーム機PCエンジンは、ハドソンが独自に設計開発したCPU、サウンドチップ、画像処理チップなどC62システムと呼ばれるHuC62シリーズを搭載しており、実質ハドソンが開発したゲーム機である。

PCエンジンは、当時のライバル機である任天堂のスーパーファミコン(全世界累計4,910万台)や、セガメガドライブ(全世界累計3,075万台)と日本を含め世界市場で覇権争いを展開した。全世界累計の販売台数は1000万台を記録しており、ライバル機の売上には及ばないものの、大きな成功を収めた。

競合をはるかに凌駕する「美麗なグラフィック」「高音質な楽曲・音声セリフ」「CD-ROMドライブによる大容量ゲーム」などを実現するなど、PlayStationセガサターン(ハイサターン、Vサターン)などの次世代機の可能性を感じさせる一時代を築いた名機とされている。

1994年12月に発売された、後継機種である次世代ゲーム機『PC-FX』の音源や動画処理などのチップセットも、PCエンジンと同様にHuC62シリーズが採用された。しかし、当時次々と発表された競合ハードであるPlayStation、セガサターン、NINTENDO 64の3D性能に対抗すべく、PC-FXに搭載する予定だった3Dポリゴン用チップの開発が間に合わず、結果としてPCエンジンの延長線上である従来型の2Dゲーム路線のソフト開発がメインになってしまうなど、急速に発展する3Dゲーム市場からは後塵を拝してしまう。

本機を最後にハード開発から撤退する事になったものの、長年NEC HE系列のファーストパーティー的な存在であり続けた。

ゲーム関連分野や、それ以外の分野への進出

1991年にコンピュータプログラマー、デザイナーの養成を目的に「ハドソンコンピュータデザイナーズスクール株式会社[注釈 2]」を設立し同スクールを開校、コンピュータゲームに関わる人材を養成していたが、1997年に同社を「株式会社フューチャービー」(後に株式会社未来蜂歌留多商会に商号変更)とし、トレーディングカードの企画・開発・販売事業に乗り出した。同年4月には東京都千代田区にあるサンポウ水道橋ビルの2階にトレーディングカードを扱うパイロットショップ「フューチャービー」を開店し、後に全国に展開された。

また、1991年から札幌の老舗デパート丸井今井のデータウェアハウス構築に協力しており、その流通向けデータベース・マーケティングシステム開発のノウハウを活かしてデータウェアハウス用パッケージソフト「P2/S」を開発した[35]

1992年には札幌芸術の森アートビレッジ内に、将来を担う最新テクノロジーの研究開発部門であるハドソン中央研究所(コア・テクノロジー事業部)を設立し、ゲーム機用半導体開発、ゲーム開発環境の整備などを行っていた。その一方同研究所は1997年に育成散歩計『てくてくエンジェル』を開発し、日経産業新聞優秀賞を受賞。その他にも筑波大学の徳永隆治らと共同で画像圧縮技術「Hybrid Vector Quantization」(HVQ)及び動画圧縮技術「HVQM」を開発[36][37]した。

さらに2002年には、日本ビクターと共同でCD-ROMコピー防止技術「ROOT」を開発する[38]、株式会社イーブックイニシアティブジャパンと共同で独自のフォーマット形式の電子書籍を閲覧するソフトウェア「ebi.BookReader」を開発する[39]など、ゲーム業界だけではなく様々な業界に関わる技術開発を行っていた。

メインバンクの経営破綻 ~ 斜陽、コナミの子会社化

1997年11月17日、メインバンクだった北海道拓殖銀行の経営破綻により資金繰りが悪化してしまう。2000年3月より、iモード用のゲームコンテンツ配信を開始するなど、モバイルアプリ(携帯電話向けアプリ)事業に乗り出すが、経営状態は好転しなかった。

2000年代の投資家向け企業情報では、右側の表のような企業になっていた。営業利益の欄の白い三角(△)はマイナスを意味し、この時期のハドソンは営業利益が赤字だったことを意味する。

株式会社ハドソン
Hudson Soft Company, Limited
種類 株式会社
市場情報
東証JQ 4822
2000年12月20日 - 2011年3月29日
本社所在地 日本
107-6288
東京都港区赤坂九丁目7番1号
ミッドタウン・タワー
設立 1973年5月18日
(有限会社ハドソン)
廃止 2012年3月1日
コナミデジタルエンタテインメントに吸収合併)
業種 情報・通信業
事業内容
代表者 代表取締役社長 上原和彦
資本金 3億円[43]
発行済株式総数 2881万2986株
売上高
  • 連結:143億2460万6千円
  • 単独:122億8337万1千円
  • (2011年3月期)
営業利益
  • 連結:△5億9786万9千円
  • 単独:△9億0243万5千円
  • (2011年3月期)
純利益
  • 連結:1億7470万2千円
  • 単独:543万0千円
  • (2011年3月期)
純資産
  • 連結:94億3625万6千円
  • 単独:94億2544万9千円
  • (2011年3月31日現在)
総資産
  • 連結:110億7899万0千円
  • 単独:110億5076万5千円
  • (2011年3月31日現在)
従業員数
  • 連結:433名
  • 単独:421名
  • (2011年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 コナミ 100%
特記事項:上記は2011年(平成23年)4月時点の情報。後に吸収合併を経てKDEのブランド(『ハドソンブランド』)となり、2013年12月31日をもってブランド消滅[注釈 4]
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2000年代初頭よりコナミの資本が入るようになり、2004年には創業者が経営から完全に手を引き、2005年にはコナミの連結子会社となる。同時に、特徴的であった「自由な社風」も社内から無くなった。

2007年に本社を東京ミッドタウンに移すがほぼヒット作がなく、2008年には社長を退任した遠藤や、『マリオパーティ』シリーズのスタッフがエヌディーキューブに移籍。コナミの完全子会社になった2011年4月28日に発売した『デカスポルタ 3Dスポーツ』以降、開発ラインナップに家庭用ゲーム機向けのタイトルが無くなったことで、高橋名人が同年5月31日で退社。

さらに、『桃太郎』シリーズのゲーム監督さくまあきらや、長年付き合いのあった桃太郎電鉄の開発チーム「Team Kawada」に在籍するハドソン社員の多くが退社したり、ハドソンを吸収合併したKDE-Jに在籍する社員との間に発生したトラブルにより、コナミとの確執を経て決別。事実上、『桃太郎』シリーズ打ち切りと同シリーズの著作権をコナミと他社に譲渡せず、一旦「永久に封印する」という事態が起きた。

ハドソンブランドの終焉

そして翌2012年3月1日に、コナミの「SNS分野におけるビジネスチャンス拡大に向け、コナミグループのデジタルエンタテインメント事業の中核会社であるKDEに経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」という方針に伴い[5]、KDEに吸収合併する形で法人としてのハドソンが消滅した。

なお、法人消滅後も当初は体裁上ハドソンブランドのサービスは継続されていたが[44]バーチャルコンソールでのラインナップの追加以外には目立った動きはあまりなく、2013年末をもってハドソンブランドが消滅。これらのアーカイブも全てコナミブランドに統一され、翌年の2014年元日付けでハドソンブランドの公式ホームページも閉鎖され、名実共に40年7か月の歴史に幕を下ろした。

旧ハドソンブランドのシリーズ展開

2014年にコナミブランドに統一された後から現在に至るまで、旧ハドソンブランドのシリーズ作品が新たに発売されている。ただし、ハドソンが開発・販売をしていた時とは携わっているスタッフが異なる場合が多く、現時点(2022年6月現在)ではいずれの作品も従来のシリーズとは路線の異なる部分が少なくない[注釈 5]

コナミブランド統一後(2014年以降)の各シリーズの展開については、各シリーズの記事を参照。

沿革

  • 1973年昭和48年)
    • 5月18日 - 工藤裕司・工藤浩兄弟が、札幌市豊平区にて通信機器の販売、美術写真の販売を目的に有限会社ハドソンを設立。
    • 9月 - アマチュア無線機器の販売店「CQハドソン」を開店。
  • 1975年(昭和50年)9月 - マイクロコンピューター用機器の販売を開始。
  • 1978年(昭和53年)3月 - 日本で初めてマイクロコンピューター用パッケージゲームソフトの開発・販売を開始。
  • 1979年6月 - 月刊マイコン1979年7月号に、マイクロコンピュータ用ソフトウェア(カセットテープ入り)の通信販売を開始する旨の1ページ広告を自社として初めて掲載。注文が殺到。毎日現金が現金書留で届くようになりキャッシュフローが一気に改善。
  • 1982年(昭和57年) 3月 - 東京事業所(東京都千代田区麹町)開設。
  • 1984年(昭和59年)
    • 7月 - 初のサードパーティとしてファミリーコンピュータ用ソフト・周辺機器の開発・販売を開始。
    • 10月 - 株式会社メディアを買収、同社を「株式会社ハドソン販売」に商号変更[45]
    • 11月 - 有限会社ハドソンから株式会社ハドソンへ組織変更。
  • 1985年(昭和60年)
    • 6月 - 東京事業所、新宿区市谷田町へ移転。
    • 7~8月 - 第1回TDKファミコン全国キャラバン大会開催。
    • 12月20日 - ファミコン用ソフト『ボンバーマン』を発売。以後シリーズ化。
  • 1986年(昭和61年)
    • 3月 - 株式会社ハドソン(法律上の消滅会社、実質上の存続会社)、株式会社ハドソン(法律上の存続会社、本店札幌市北区、休眠会社を合併し商号変更したもの)及び株式会社ハドソン販売の三社合併[45]
    • 9月12日 - ハドソン所属のファミコン名人・高橋名人をキャラクターに起用した『高橋名人の冒険島』を発売。以後シリーズ化。
    • 10月3日 - 高橋名人を題材にしたテレビアニメ『Bugってハニー』が日本テレビ系列他にて放送開始。
  • 1987年(昭和62年)
    • 7月 - 「シュウォッチ」発売。
    • 7月 - 独自のLSIを含む「C62システム」を開発。NECホームエレクトロニクスとゲーム機「PCエンジン」を共同開発。
    • 9月 - PCエンジン用ソフトの開発・販売を開始。
    • 10月26日 - ハドソン初のRPGであるファミコン用ソフト『桃太郎伝説』を発売。以後桃太郎シリーズとしてシリーズ化。
  • 1988年(昭和63年)
    • 7月 - コンピュータソフトの商標権・版権管理を目的に「ハニービー音楽出版株式会社」を設立。
    • 12月 - R&D業務MD業務(ライセンス管理等)を目的に「未来計画株式会社」を設立。
    • 12月2日 - 前年に発売された『桃太郎伝説』の派生作品として、ファミコン用ソフト『桃太郎電鉄』を発売。以後シリーズ化。
    • 12月4日 - CD-ROMを媒体とした世界初のゲームソフト『No・Ri・Ko』『ファイティングストリート』を発売。
  • 1989年平成元年)
  • 1990年平成2年)
  • 1991年(平成3年)4月 - コンピュータプログラマー、デザイナーの養成を目的に「ハドソンコンピュータデザイナーズスクール株式会社[注釈 2]」を設立。
  • 1992年(平成4年)
    • 1月 - スーパーファミコン用ソフト・周辺機器の開発・販売を開始。
    • 9月 - 札幌市南区、芸術の森アートビレッジ内に「ハドソン中央研究所(コア・テクノロジー事業部)」を設立。
    • 9月 - ハドソン創業20周年を記念し、中央研究所内に庶民の穴銭資料館「方泉處」を開設[46]
  • 1993年(平成5年)7月 - 世界初のハイビジョンゲーム『HI-TEN ボンバーマン』を開発、イベントに使用。
  • 1994年(平成6年)
    • 3月 - 32ビット半導体チップセット「HuC62シリーズ」を開発。
    • 5月 - 創業者の弟・工藤浩が代表取締役社長に就任。
    • 12月 - NECホームエレクトロニクスと共同開発したゲーム機「PC-FX」が同社より発売される。
    • 12月 - PC-FX用ソフトの開発・販売を開始。
  • 1996年(平成8年)
    • コンサドーレ札幌のオフィシャルパートナー。
    • 5月18日[47] - CIロゴの表記を「HUDSON GROUP HUDSON SOFT」から「HUDSON」に変更。
    • 6月 - セガサターン用ソフト・周辺機器の開発・販売を開始。
  • 1997年(平成9年)
    • コンサドーレ札幌のオフィシャルパートナー撤退。
    • 2月 - ハドソンコンピュータデザイナーズスクール株式会社[注釈 2]を「株式会社フューチャービー」に商号変更。会社目的も未来の玩具の企画・デザイン及び販売、トレーディングショップの管理運営に変更。
    • 4月 - 東京都千代田区にあるサンポウ水道橋ビルの2階にパイロットショップ「フューチャービー」を開店。トレーディングカードを扱い、102名を収容可能な本格的なデュエルルームを備える[48]。フューチャービーの店舗は後に全国に展開される[49]
    • 8月 - NINTENDO 64用ソフト・周辺機器の開発・販売を開始。
    • 11月 - PlayStation用ソフトの開発・販売を開始。
    • 12月 - 世界初の育成散歩計『てくてくエンジェル』を発売。
  • 1998年(平成10年)
  • 1999年(平成11年)
    • 2月 - てくてくエンジェルが「日経産業新聞優秀賞」を受賞。
    • 2月7日 - 『Bビーダマン爆外伝』の続編である『Bビーダマン爆外伝V』がテレビ朝日系列にて放送開始。
    • 3月 - ドリームキャスト用ソフトの開発・販売を開始。
    • 5月 - 東京事業所、新宿区市谷田町から中央区築地に移転。
    • 5月29日 - 自社が著作権を保有する「ボンバーマン」「桃太郎」などのキャラクターイラストについて、教育関係及び福祉関係団体等の非営利目的での使用の場合の無償使用許可、同一目的用のキャラクター線画配布を朝日新聞紙面上で発表[51]
  • 2000年(平成12年)
    • 2月 - 保有していた未来計画株式会社の全株式を三菱商事に売却。
    • 3月 - 招布株式会社の第三者割当増資を引き受け、子会社化。
    • 3月 - 携帯電話「iモード」向けゲーム配信サービスを開始。
    • 7月~8月15日 - 『ボンバーマン』シリーズとでんすけすいかのタイアップキャンペーンを実施。
    • 10月3日 - 次世代ゲーム機向けソフトの開発・販売を行なうための合弁会社の設立について、フランスのアンフォグラム社と合意[52]
    • 11月 - アンフォグラム社と合弁で「アンフォグラムハドソン株式会社」を設立。
    • 12月 - 大証ナスダックジャパン・スタンダードに上場。
  • 2001年(平成13年)
    • 1月 - iアプリ対応コンテンツサービスを開始。
    • 3月 - PlayStation 2用ソフトの開発・販売を開始。
    • 3月 - 富士通他4社とASP事業の本格展開に際し、ジェイビートゥビー株式会社の第三者割当増資を引受。
    • 3月 - ゲームボーイアドバンス用ソフトの開発・販売を開始。
    • 3月 - ゲームソフトの長期開発資金としてシンジケートローンを実施。
    • 5月 - CQハドソン閉店。
    • 5月 - 庶民の穴銭資料館「方泉處」を閉館[53]
    • 8月 - コナミが第三者割当増資を引き受け筆頭株主となる。
    • 12月 - コナミコンピュータエンタテインメントの札幌事業を「ハドソンスタジオ」として分割、継承。企業体質強化及び収益の向上を図るため、組織を大幅に変更、社内カンパニー制を導入。
  • 2002年(平成14年)
    • 1月 - 前年12月発売の『桃太郎電鉄X ~九州編もあるばい~』が発売1ヵ月で50万本を出荷。
    • 4月 - ニンテンドー ゲームキューブ用ソフトの開発・販売を開始。
    • 5月 - 株式会社イーブックイニシアティブジャパンと共同開発した、独自のフォーマット形式の電子書籍の閲覧ソフトウェア「ebi.BookReader」が同社よりリリースされる[39]
    • 6月 - 台湾におけるiモードサービスを開始。
    • 6月 - 筑波大学の徳永隆治らと共同で開発した[36][37]独自の画像圧縮技術「HVQ」の提供により、株式会社イーブックイニシアティブジャパンと共に岩見沢市立図書館における岩波文庫電子書籍化サービスに参入。
    • 7月 - 中央研究所を「コア・テクノロジーセンター」に、東京事業所を東京支社に改称。
    • 8月 - CD-ROMコピー防止技術「ROOT」を日本ビクター(現・JVCケンウッド)と共同開発[38]
    • 9月 - 当初の目的を達成・終了したため招布株式会社を清算。
    • 10月 - パソコン用地図ソフト「MaPiVi」を株式会社ゼンリンと共同開発[54]
    • 10月2日 - 「ボンバーマン」を題材としたテレビアニメ『ボンバーマンジェッターズ』がテレビ東京系にて放送開始。
    • 12月 - 携帯電話用アクセサリー「チョ~!ワイドレンズ」(広角レンズ)を発売。
  • 2003年(平成15年)
    • 10月14日 - 東京都台東区の妙泉寺に桃太郎シリーズの登場キャラクター「貧乏神」をモチーフとした「貧乏が去る(猿)」像を設置、10月14日以降一般公開される[55]
    • 11月 - アメリカ・カリフォルニア州サンマテオに100%子会社「Hudson Entertainment, Inc.」を設立[注釈 6]
  • 2004年(平成16年)11月 - 遠藤英俊が代表取締役社長に就任。創業者である工藤兄弟が経営から退く。
  • 2005年(平成17年)
    • 1月 - PlayStation Portable用ソフトの開発・販売を開始。
    • 4月 - 第三者割当増資をコナミ(後のコナミホールディングス)が引き受け、コナミの連結子会社となる。
    • 5月 - ハニービー音楽出版(連結子会社)を吸収合併。
    • 5月 - ニンテンドーDS用ソフトの開発・販売を開始。
    • 7月 - 本社を創業の地・札幌市豊平区から東京都中央区に移転する。
  • 2006年(平成18年)
    • 3月 - 株式会社未来蜂歌留多商会(連結子会社)を清算。
    • 3月 - Xbox 360用ソフトの開発・販売を開始。
    • 8月4日~8日 - 『桃太郎電鉄』シリーズと五所川原立佞武多がタイアップ。「桃太郎電鉄 立佞武多」が制作・運行された。
    • 12月 - Wii用ソフトの開発・販売を開始。
  • 2007年(平成19年)
    • 4月 - 『桃太郎電鉄』シリーズと銚子電鉄がタイアップ[56]。「桃太郎電鉄 ラッピング車両」が運行され、犬吠駅仲ノ町駅笠上黒生駅に同タイトルの登場キャラクターをモチーフとした「しあわせ三像」が設置された。
    • 6月 - 本社を東京都港区赤坂のミッドタウン・イーストに移転。
  • 2008年(平成20年)
  • 2009年(平成21年)
    • 4月 - 札幌支社を北海道本社に改称。
    • 5月 - 東京本社を赤坂ミッドタウン・タワーに移転。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月末 - 完全子会社化に伴いアメリカにおける子会社「Hudson Entertainment, Inc.」を解散。
    • 4月1日 - コナミとの間で簡易株式交換を実施し、コナミの完全子会社となる。上原和彦(KDE執行役員)が代表取締役社長に就任する。
    • 5月 - 北海道本社を札幌事業所に改称。
    • 7月 - 東京本社、かつてあったミッドタウン・イーストに再移転。
  • 2012年(平成24年) 3月1日 - コナミの「SNS分野におけるビジネスチャンス拡大に向け、コナミグループのデジタルエンタテインメント事業の中核会社であるKDEに経営資源を集中し、より一層の連携強化を図る」という方針に伴い[5]、KDEに吸収合併され、法人としてのハドソンが解散した[44]
  • 2014年(平成26年)1月1日 - ハドソンブランドの公式ホームページが消滅した。

社長の趣味と企業風土

ハドソンの社名の由来は、熱狂的な鉄道ファンでもあった創業者・工藤裕司が、国鉄C62形蒸気機関車のハドソン形という車軸配置から取ったものである[注釈 7]

工藤は大学在学中からサラリーマン時代にかけて、サイドビジネスとして自ら撮影した蒸気機関車の写真を販売しており、その際に用いていた社名も「グループハドソンプロダクション」だった。

工藤の鉄道趣味は留まることを知らず、社名のみならずハドソンの社内にも鉄道関連のトリビアが溢れていた。社長室には常時組み立て中の鉄道模型が置かれ、工藤がC62形の2号機[注釈 8]が好きだったことから、本社の入口にもC62の部品の一部が飾られていた。また、会社の代表電話番号の末尾4桁は4622[57]で、さらには郵便番号をC62にちなんだ「062」にするため、本社をわざわざ北海道札幌市豊平区に置くという独特の拘りぶりだった。また、かつて札幌芸術の森に隣接したアートビレッジにあったハドソン中央研究所(コア・テクノロジー事業部)の屋上にはライブスチームの線路が敷設され、専属のメカニックが配置されていたほか、研究所の大会議室ではテーブル中央に鉄道模型のジオラマが置かれC62の模型が走っていた。その模様はNHKスペシャル新・電子立国』でも取り上げられた[58]

1988年から1995年までC62ニセコ号を運行していた北海道鉄道文化協議会(通称:鉄文協)ではスポンサーの一社を務めていた[59]。C62運行のスポンサーが集まらず、鉄文協が「おたくの社名のハドソンというのは、C62の車軸配置の通称なんですよ。その縁で協力してもらえませんか?」と依頼したところ、そこで初めて工藤もC62好きであることを知り、二つ返事で協力に至ったという[要出典]

また、他の趣味として古銭の収集があり、社内に「東洋鋳造貨幣研究所」という古銭専門の研究所を設け、ハドソンの文化事業の一環として中央研究所の建物内に庶民の穴銭資料館「方泉處(ほうせんか)」という古銭博物館を開設していた他、博物館名と同じ「方泉處」という季刊の研究誌(1992年 - 1998年)も発行していた[60]が、1990年代末に経営難に陥って以降はこれらの活動は順次的に廃止されていった。方泉處という名前は、展示の元になっていた工藤のコレクションの保管箱に付けられた名前「方穿貨[注釈 9]」が由来となっている[61]

1980年代半ばのハドソン関係者が口々に言う「会社の自由な空気」は社員のみならず、社長自身もそれを体現していた。中でも1986年の社員旅行はバブル景気バブル経済)の過度期であったこともあり、「ボーイング747を丸ごとチャーターしてハワイ旅行」という、一般企業ではあまり類のないものであった。高橋名人によれば「社員本人に加え家族も連れてきて良い」条件だったが、それでも人数は機体定員の半分(200人強)ほどだったため、航空会社からは「空席を一般販売させて欲しい」と申し入れがあったものの、社長が断ったという[62]

『迷宮組曲 ミロンの大冒険』を制作し、後に同社のサウンド部門のプロデューサーとなった笹川敏幸は「自由な空気」について「とっても些細なことに、とことんこだわってみる。究極までやりつくしてみる。」という遊び心があったと語っている[63]

社章・CIロゴ

かつてハドソン本社のビルの看板に描かれていたハチ助
ロゴ

社章で、工藤裕司の手描きのデザインで「ハチスケ」とも呼ばれていた[64]。ハドソンのゲームソフトにボーナスキャラ・隠れキャラとして古くから数多く登場している。由来は、工藤裕司社長が漫画家のアシスタントをしていた時代に漫画作品「でしゃばりハチスケ」を制作していたことに由来するほか[65]、北海道のアマチュア無線のエリア番号が「8(はち)」と同音である「蜂」を採用したと言われている[66][67][64]。高橋名人によると当初は「CQハチ助」と呼ばれていた[68](これは高橋の勘違いであり、実際は「JA8スケ」である[要出典] 。理由は当時のアマチュア無線の北海道のコールサインがJA8で始まっていたことによるものである[64])。

1996年5月18日[47][注釈 10]よりハドソンのCIロゴの表記が「HUDSON GROUP HUDSON SOFT」から「HUDSON」に変更された[注釈 11]。高橋名人によるとその理由は「HUDSONのみの表記にすることで、全体的なCIロゴサイズを変更しなくてもハチ助を大きくレイアウト出来るから[69]」だという。

2007年にはハチ助をモチーフとしたアーバンライフスタイルブランド「8SK(ハチスケ)」が立ち上げられ、Tシャツやキャップが公式サイトなどで販売されていた[70]

製品

ハードウェア・デバイス

これらは、HuC62シリーズとしてPCエンジンのチップセットとして使われた。

  • POEMS(Portable Entertainment Mixed Solution)32ビットシングルチップLSIで、動画表示、3D/3D描画エンジン、サウンドエンジン、拡張メモリインターフェイス、ネットワーク機能を搭載したSoC。採用例としては、コナミから発売されたPLAY-POEMS等が有る。

マイクロコンピュータ、パソコン用ソフトウェア

マイクロコンピュータ時代のゲームソフト

実用ソフト

  • PALL CAI
  • PALL LIFE
  • DATA BASE
  • QSO整理
  • 株式売買
  • アペンド10
  • アペンド20
  • RAM TEST
  • テンキー&ファンクションキー
  • 英会話レッスン
  • 価値判断
  • 金種計算
  • 姓名判断
  • 占星術

プログラミング言語、OS

  • FORM(Tiny Fortran)
  • PALL(Tiny PASCAL)
  • GAL(ASCIIのGAMEの拡張版、クレームにて回収)
  • Hu-BASIC(MZ、X1用のBASICインタープリタ、韓国三星のSPC-1000にも採用実績がある)
  • Hu G-BASIC(グラフィック重視のBASIC)
  • mini Hu BASICコンパイラ(整数型BASICコンパイラ)
  • NS-Hu BASIC(ファミリーベーシックに内蔵された整数型BASICインタープリタ)
  • HuCAL(簡易言語)
  • HuVOICE(パソコンのPSGを使った音声発生ソフト)
  • H-DOS

任天堂製ファミコンソフトのパソコンへの移植

アレンジ移植を含む

16ビットパソコン用ソフト

家庭用ゲーム機向け作品

移植作品を含む

ゲーム以外のゲーム機向けソフトウェア

  • Hu-VIDEO - PCエンジン用アニメーション再生技術(動画圧縮技術)
  • Hybrid Vector Quantization(HVQ) - 筑波大学の徳永隆治らと『マリオパーティ』シリーズのために共同開発した画像圧縮技術(画像圧縮エンジン)
  • HVQM - 筑波大学の徳永隆治らと共同開発した動画圧縮技術(動画圧縮エンジン)


家庭用ゲーム機

日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)との共同開発。

周辺機器

ゲームコントローラー
  • ハドソンジョイスティックFC用、1985年、定価3,500円、黄色)- スティック型。
  • ジョイカード(FC用、赤)- 色は、任天堂純正コントローラー色と同じ。連射コントローラー。
  • ジョイカードMK.2(FC用、1986年6月、定価1,980円、赤)- 15連射コントローラー。
    • ジョイカードMK.2 ヘクター'87バージョン(1987年、1,980円) 
    • ジョイカードMK.2 サンスイバージョン1(1990年、定価2,980円)
    • ジョイカードMK.2 サンスイバージョン2(定価2,980円)
    • ジョイカード サンスイSSS(定価2,980円、灰色)
    かつての音響機器メーカーであった山水電気の子会社・福島サンスイと共同開発した(1980年代当時)製品で、音量ボリュームとイヤホン出力端子を装備した15連射コントローラー。
    独自開発のサウンドシフト機能を搭載した事により、十字キーの左右入力とステレオ音声のLRが連動して聞こえるため、臨場感のある独特なステレオサウンド(実質的にはテクニカル(擬似)ステレオ扱い)がモノラル出力のファミコンでも堪能出来る仕様になっている。
    • ジョイカードmkⅡ(透明色、非売品)- Bugってハニーの懸賞品。ゲーム内のパスワードを応募。
  • ジョイカード(MSX用)- 色は、灰色。
  • ジョイカード スーパーX(MSX、X1X68000用)
  • ジョイカード スーパーII(MSX用)
  • スーパージョイカード(SFC用、1991年、定価2,980円)
  • ジョイカード64(N64用)
    • ジョイカード64 J(N64用、緑色)- Jリーグ イレブンビート1997の懸賞品。応募券を送ると抽選で1000名に当選。
    • ジョイカード64 P(N64用、青色)- パワーリーグ64の懸賞品。応募券を送ると抽選で1000名に当選。
  • SBOMジョイカード(SS用)-『サターンボンバーマン』、『銀河お嬢様伝説ユナ3』などに対応。
外部記憶装置
  • 天の声バンク(PCE用、1991年9月6日、定価3,880円)- HuCARD型の外部記憶カード。
  • 天の声2(PCE用、1989年8月8日、定価2,600円)- PCエンジン本体に接続する外部記憶ユニット。
メモリーカード・ソフトカード
  • BEE CARD - カード型のメモリーカード。MSXで使用するには別途BEE PACKが必要。
  • HuCARD - PCエンジン用メモリーカード。PCエンジン用ソフトメディアの主流がCD-ROMに移行するまではソフトとしても発売され、その後は周辺機器として(CD-ROM2用システムカード、アーケードカード、天の声バンクなど)のHuCARDも発売された。
その他
  • ファミコンシステムラック(FC用、1,500円)
ファミコン本体とディスクシステムを固定するラック。

その他の商品

広報活動、宣伝活動

ハドソン全国キャラバン

ハドソン全国キャラバン」とは、ハドソンが国内大手の電子部品メーカーのTDK[注釈 14]との協賛で1985年から行っていたゲーム大会のこと。

最大の特徴は「キャラバン」の名にふさわしく、北海道から沖縄まで全国各地を巡業していた事である。各都道府県政令指定都市にとどまらず、他の都市でも行われた。最大は第2回の40都道府県・65会場である。

  • 1985年 - 1997年のキャラバンでは毎回「公式ソフト」としてハドソン製のゲームソフトが1本製作され、そのゲームを用いた大会が行われた。
  • 1990年 - 1992年の3回は「ワールドカップ」として、会場を日本だけでなく海外にも拡大した。
  • 1993年からは「ハドソンスーパーキャラバン」の題に改題された[72]
  • 1998年 - 2000年の3回はコンピュータゲームではなくカードゲームの大会が行われ、2000年をもっていったん「キャラバン」の名を冠したイベントは終了した。
  • 2006年、「ハドソン全国キャラバン'06」で「キャラバン」の名が復活し、このときの公式ソフトにはニンテンドーDSの『Touch!ボンバーマンランド』の他、シュウォッチも使われた。

公式ソフト

トレーディングカードゲーム

  • 1998年:大貝獣物語 THE MIRACLE OF THE ZONE
  • 1999年:大貝獣物語 THE MIRACLE OF THE ZONE 青の章
  • 2000年:パワーリーグ 夢のスタジアム2000[73]

主な提供番組

(★は筆頭提供番組、それ以外は複数社提供)

広告のクレジットやスローガンなど

  • 『藤子不二雄のキテレツ大百科』『Bugってハニー』などの筆頭提供番組での提供読みは「キミたちのいい脇役。HUDSON SOFT」で、クレジットは白バックに「提供」の文字の下にカラーの「ハチ助」が大きく表示され、その下に「キミたちのいい脇役になりたいな。(改行)HUDSON GROUP(改行)HUDSON SOFT」と表示されていた。但し、キテレツのみブルーバック。
  • 「買わなきゃハドソン」 - 「買わなきゃ損」をもじった宣伝スローガン
  • 『高橋名人の面白ランド』では映像をバックに黒の縁取りに白文字で「提供(改行、ハチ助、改行)HUDSON GROUP(改行)HUDSON SOFT」とだけ表示していた。

ハドソンの関係者

  • 工藤裕司(創業者兄弟の兄)
  • 工藤浩(創業者兄弟の弟)
  • 中本伸一 - CQハドソン時代からの重要メンバ。1980年入社、1986年取締役、1999年副社長
  • 竹部隆司 - 初期の中心人物のひとり。1999年にロケットスタジオを設立。
  • 辻尚之 - 元税理士で1985年入社、1988年取締役開発本部長、1998年常務取締役管理本部長CFO。ハドソンの財務関係の重要人物。
  • 大里幸夫 - 広告代理店を経て1983年入社。取締役。ゲームプロデューサー。
  • 藤原茂樹 - 元々は漫画家アシスタントで、日本物産でゲームデザイナー経験。1989年ハドソン入社。『ボンバーマンシリーズ』プロデューサー。ゲームディレクターやスーパーバイザーなどとしてボンバーマンシリーズに携わる。
  • 高橋利幸(高橋名人)- 1982年8月入社。ファミコン全盛期に"ハドソン所属の名人"としてプロモーションを担当した
  • 毛利公信(毛利名人)- 同様にファミコン名人としてプロモーションを担当した
  • 川田忠之 - 「川田名人」としてハドソンのプロモーションに関わっていたが、後にゲーム制作を手掛けるようになり『スーパースターソルジャー』『ドレミファンタジー ミロンのドキドキ大冒険』などを手掛ける。また開発チーム「Team Kawada」のリーダーとして『桃太郎電鉄シリーズ』の制作指揮を担当する。
  • 笹川敏幸 - 『迷宮組曲 ミロンの大冒険』の作者。後に同社のサウンドプロデュースを手掛けるようになり、『天外魔境ZERO』『天外魔境 第四の黙示録』では作曲を担当。
  • 猪狩寛 - ゲームプロデューサー。元執行役員
  • 油布賢一 - 音楽事業部のゼネラルマネージャーとして「ハドソン・ミュージックエンタテインメント」のトップに就任。前職はエクシングJOYSOUND運用元)の第一制作G・統括プロデューサーであり、ハドソン在籍中に『カラオケJOYSOUND Wii』や音楽CD『エブリバディー』のプロデュースなどを手掛けた。
  • 遠藤英俊 - コナミが筆頭株主になった後の2004年に社長に就任し、工藤兄弟が会長・社長からはずされた。

関連項目

ハドソン社員の移籍先
  • 新・電子立国 - 第4回「ビデオゲーム〜巨富の攻防〜」にてハドソンの創業から発展までのエピソードが紹介されている。


脚注

注釈

  1. 1998年に『ボンバーマンシリーズ やったぞ1000万本キャンペーン すごいぞ1000人プレゼント』が実施された。
  2. 1 2 3 ハドソンコンピューターデザイナーズスクールとも表記される。
  3. この他にも、コア・テクノロジー事業[40][41]、流通向けデータベース・マーケティングシステム事業[35]トレーディングカードの企画・開発・販売事業[42] 、ライセンス事業[42]などを行っていた時期がある。
  4. 権利自体は現在もKDEがすべて保有している。
  5. 特に版権元であるKDEからリリースされたものについては、世界観の設定や登場キャラクターのデザイン、BGM等の方針変更が顕著である。
  6. サンフランシスコ州と書かれている資料もある。
  7. この呼称はニューヨークセントラル鉄道ハドソン川沿いの線で、この車輪配置の機関車を走らせたことに由来する。
  8. 同機は同型機の中で唯一、デフレクターシルエットになったのマークがあしらわれ、ファンの間から「スワローエンジェル」という愛称がつけられていた。
  9. 四角い穴が開いたお金の意。
  10. ゲームパッケージのCIロゴが「HUDSON」に変更された初のソフトは同年6月1日に発売された『Jリーグ'96ドリームスタジアム』。
  11. ゲームタイトル画面などの権利表記は「HUDSON SOFT」のままになっている。
  12. もともとエイリアンクラッシュナグザットの発売だが、後にハドソンに商標登録等の権利を所有することになった。そのため、開発・発売ともにハドソンである。
  13. 2006年9月16日発売のWii用ソフト。過去にはタカラトミー(旧:タカラ)の『冒険遊記プラスターワールド』のキャラも登場している(但し、声優は同じキャストが演じている)。
  14. この当時、TDKは電子部品の製造のみならず、磁気テープオープンリールコンパクトカセットマイクロカセットDATDCC等)やビデオテープVHSベータマックス等)、記録用光学ディスクCD-RCD-RWDVD-RDVD-RWBD-RBD-RE)、光磁気ディスクMOMD)、フロッピーディスク等の記録用メディアの製造も手掛けていた。
  15. このソフトではゲーム大会は行われず、「劇場空間天外ごっこ 誰がハドソン夢まつり’95」と題したイベントが開催。
  16. 「にこボンピック'96」と題してイベントが開催され、同作のバトルゲームによる10人対戦の大会や、キャラバン用にチューニングされた段位認定ゲーム「マスターゲーム(にこボンピック'96仕様)」などが行われた。
  1. 平岸グランドビル新館の竣工(建設工事完了)は1994年9月である。 したがって、ハドソンが最初に入居した時期には新館は存在していない。
  2. 株式会社平岸グランドビルは同じ番地に新館を建造したので同一番地に2つのビルを所有するかたちになった。したがって番地表記だけではどちらのビルなのか区別がつかない状態になった。
  3. 丸井今井札幌店(当時はハドソンのアンテナショップも置かれていた)にて、ファミコンの『ドンキーコング』を遊んでいる子供たちを見た。

出典

  1. 佐々木 2013, p. 8.
  2. 1 2 3 沿革 - HUDSON SOFT - ウェイバックマシン(2000年12月11日アーカイブ分)
  3. 1 2 3 相田洋; 大墻敦 (1997-01-20). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. p. 215
  4. ゲームとともに...(株式会社ハドソン) - ウェイバックマシン(1996年11月6日アーカイブ分)
  5. 1 2 3 ハドソンが解散へ コナミデジタルエンタテインメントが吸収合併 - ITmedia NEWS
  6. Trademark Filing. Hudson Soft Co., Ltd.”. 2026年8月3日閲覧。
  7. 株式会社平岸グランドビル、会社沿革”. 2026年8月3日閲覧。
  8. 高橋名人. ハドソン初日”. 2026年8月3日閲覧。
  9. 株式会社平岸グランドビル 会社沿革”. 2026年8月3日閲覧。
  10. Super Bomberman 4 取扱説明書”. 2026年8月3日閲覧。
  11. 本社の移転及び組織変更に関するお知らせ (PDF). ハドソン (2009年2月4日). 2009年2月5日閲覧。[リンク切れ]
  12. 1 2 3 4 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. p. 214
  13. 1 2 3 4 5 6 7 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. p. 221
  14. 1 2 3 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. p. 225
  15. 1 2 3 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. p. 223
  16. 会社案内 - 会社所在地・地図 - ウェイバックマシン(2005年6月1日アーカイブ分)
  17. 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 223-224
  18. 1 2 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. p. 227
  19. 1 2 3 4 5 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. p. 218
  20. 1 2 3 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. p. 219
  21. 1 2 3 4 5 6 相田洋; 大墻敦. 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. p. 220
  22. 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 225-226
  23. 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 224
  24. 1 2 3 4 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 226
  25. 1 2 3 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 231
  26. 1 2 『新・電子立国』第4巻 pp.226 - 233
  27. 1 2 3 4 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 236-238
  28. 1 2 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 240-241
  29. 赤木哲平『セガVS.任天堂―マルチメディア・ウォーズのゆくえ』(日本能率協会マネジメントセンター、1992年)p.126
  30. 恩人が告白!なぜ私は「裸の孫正義」に賭ける気になったのか - PRESIDENT Online・2013年1月11日
  31. 1 2 3 4 5 6 7 8 相田洋; 大墻敦 (1997). 新・電子立国〈4〉ビデオゲーム・巨富の攻防. 日本放送出版協会. pp. 290-295
  32. 元ハドソンの桜田名人のツイッターでの発言「初期から参入していた会社は任天堂の定めた『ソフトの年間発売制限数』が多く、優遇されていた」 (2012年1月18日). 2013年4月1日閲覧。
  33. 講演依頼.com さくまあきらプロフィール”. 2014年11月4日閲覧。
  34. 2010年3月期 決算説明会資料 (PDF). ハドソン (2010年5月10日). 2010年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月10日閲覧。
  35. 1 2 事業内容1 - ウェイバックマシン(2000年1月15日アーカイブ分)
  36. 1 2 現在の研究開発内容 - ハドソン中央研究所 - ウェイバックマシン(2002年8月5日アーカイブ分)
  37. 1 2 筑波大学 システム情報工学研究科 カオス研究室|製品紹介
  38. 1 2 ROOT - Copy Protection Technology - ウェイバックマシン(2004年4月14日アーカイブ分)
  39. 1 2 沿革 | 企業情報 - 株式会社イーブックイニシアティブジャパン
  40. ハドソン中央研究所 - ウェイバックマシン(2002年8月4日アーカイブ分)
  41. CT事業本部 - ウェイバックマシン(2004年6月3日アーカイブ分)
  42. 1 2 事業内容2 - ウェイバックマシン(2000年1月15日アーカイブ分)
  43. 電子公告『資本金の額の減少について』 (PDF). ハドソン (2011年7月4日). 2011年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月5日閲覧。
  44. 1 2 株式会社コナミデジタルエンタテインメントとの合併について”. ハドソン (2012年1月20日). 2012年1月20日閲覧。
  45. 1 2 株式会社ハドソン有価証券報告書 - 沿革 (その他サービス業) - 有報リーダー[リンク切れ]
  46. 庶民の穴銭資料館「方泉處」 - ウェイバックマシン(2001年4月10日アーカイブ分)
  47. 1 2 もぐさんはTwitterを使っています 「ハドソンのCIが変わったのは'96年5月18日の模様。'96年はユーモアネットワークのリニューアル、ホームページ開設ほか、ラジオ、サッカー方面でも色々やり出しているので広報体制に変化があったぽい。 https://t.co/8aWlRlEHKw」 / Twitter
  48. フューチャービー東京 - ウェイバックマシン(2001年4月10日アーカイブ分)
  49. フューチャービー 加盟店募集 - ウェイバックマシン(2001年2月19日アーカイブ分)
  50. 未来蜂歌留多紹介トピックス - ウェイバックマシン(1998年5月24日アーカイブ分)
  51. ハドソンキャラクターのご使用についてのご案内 - ウェイバックマシン(2000年1月16日アーカイブ分)
  52. 仏・アンフォグラム社と合弁会社設立 - ハドソンニュースリリース - ウェイバックマシン(2002年4月21日アーカイブ分)
  53. 新寛永通寶分類譜【泉家・収集家覚書】
  54. 3D地図ソフト MaPiVi - ウェイバックマシン(2004年6月3日アーカイブ分)
  55. 「桃鉄」15周年記念!看板ソフトの更なる拡販を目指しプロモーションを本格稼動(ハドソンニュースリリース) - ウェイバックマシン(2005年8月17日アーカイブ分)
  56. ハドソン、「桃太郎電鉄」のラッピング電車が銚子電鉄に登場。「桃太郎電鉄20周年記念車両 出発式」レポート
  57. 『ナッツ&ミルク』 - 高橋名人世代”. 電人☆ゲッチャ!. MAGES (2011年1月5日). 2011年1月5日閲覧。2分30秒頃から。
  58. 第4回「ビデオゲーム~巨富の攻防~」(1996年1月21日放送)
  59. 沿革 - ウェイバックマシン(1996年11月6日アーカイブ分)
  60. 方泉處 - ウェイバックマシン(2001年4月5日アーカイブ分)
  61. 庶民の穴銭資料館「方泉處」へ行ってみよう!その2 - ウェイバックマシン(2001年9月23日アーカイブ分)
  62. 1986年の社員旅行(ハワイ)の写真 - 高橋名人 16連射のつぶやき・2025年1月6日
  63. 懐古主義・ファミコンゲームデザイナーの過去ブログ:ボンバーマンシリーズのBGMのこと(2)
  64. 1 2 3 キミの名は ハドソン 郷土愛こもる手書きのハチ - 朝日新聞2009年1月24日朝刊7面
  65. なにかと気になるあのマークはなに - ファミコン通信1991年8月16日号
  66. ほっかいどう企業あれこれrハドソン - 北海道新聞1998年1月9日朝刊13面
  67. 日々是遊戯:ハドソンのマークはなぜ「ハチ助」なの? トリビアで振り返るハドソンの歩み - ねとらぼ
  68. 『ナッツ&ミルク』 - 高橋名人世代”. 電人☆ゲッチャ!. MAGES (2011年1月5日). 2011年1月5日閲覧。5分頃から。
  69. 「HUDSON SOFT」が「HUDSON」に変わったわけ | 高橋名人オフィシャルブログ「16連射のつぶやき」Powered by Ameba
  70. ハドソン、アーバンライフスタイルブランド「8SK」を展開 | インサイド
  71. ビースピによる速度・加速度測定のノウハウ
  72. ハドソン全国キャラバン備忘録 - 1993年キャラバン「参加整理券」... | Facebook
  73. ハドソン全国キャラバン備忘録 - 2000年のキャラバンは、『パワーリーグ 夢のスタジアム』のイベントでした。... | Facebook

参考文献

  • 赤木哲平『セガVS.任天堂―マルチメディア・ウォーズのゆくえ』(日本能率協会マネジメントセンター、1992年)
  • 佐々木, (2013), 80年代マイコン大百科, 総合科学出版 

外部リンク


Hudson

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 00:40 UTC 版)

Jenkins」の記事における「Hudson」の解説

Jenkins当初Hudsonプロジェクト開発していた。2010年11月頃、スチュワードシップコントロールオラクルの下にあるという疑問顕在化したことでHudsonコミュニティ根本的な問題もたらしたプロジェクトの主要メンバーオラクル間の交渉が行われ、Hudsonの名の商標登録という重大な問題点に関して多く合意分野があったものの、結果2011年1月11日プロジェクト名をHudsonからJenkins変更するかどうか投票呼びかけJenkinsプロジェクト立ち上げる提案同月29日コミュニティ投票において圧倒的多数承認された。同年2月1日オラクルはHudsonの開発継続Jenkinsを名称の変更ではなくフォークとみなす意思示した

※この「Hudson」の解説は、「Jenkins」の解説の一部です。
「Hudson」を含む「Jenkins」の記事については、「Jenkins」の概要を参照ください。

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