1944年10月 「シャルルマーニュ」の名称付与
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「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「1944年10月 「シャルルマーニュ」の名称付与」の解説
1944年9月末、ドイツに避難していたフランス民兵団の指導者ジョゼフ・ダルナンはベルリンの親衛隊本部長ゴットロープ・ベルガーと会見し、ドイツに避難した民兵団員の今後について話し合った。その際にダルナンは編制中の新たな武装親衛隊フランス人旅団の名称として、15世紀のフランスの国民的英雄である「ジャンヌ・ダルク」(Jeanne d'Arc)を提案した。 しかし、1944年10月、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーは新設のフランス人旅団に「シャルルマーニュ」(Charlemagne)の名を冠した。あまりにもフランス的・カトリック的な名称である「ジャンヌ・ダルク」と比べて、「シャルルマーニュ」(カール大帝。ドイツ史とフランス史においてフランク王国国王として有名)は汎ヨーロッパ的な名称であるとの判断からであった。
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