日本本土攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:17 UTC 版)
「フランクリン (空母)」の記事における「日本本土攻撃」の解説
ピュージェット・サウンド海軍工廠で修理と対空火器の増設等の改修を受け、「フランクリン」は1945年1月26日に活動を再開した。訓練演習の後2月2日にブレマートンを出港、沖縄上陸支援のための日本本土攻略部隊、58.2任務群(ラルフ・デヴィソン少将指揮)に加わる。3月15日に同部隊に合流し、任務群の旗艦となる。三日後の3月18日に九州南部、鹿児島と出水に対する攻撃を始めた。この日、鹿屋基地に司令部を置いていた第五航空艦隊(司令長官:宇垣纏中将)は、その指揮下にある各航空隊(四式重爆撃機「飛龍」の雷撃機型装備の陸軍雷撃隊二個飛行戦隊を含む)を投入し、全力で第58任務部隊(高速空母機動部隊)に対する迎撃を開始する。
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