沖縄戦・日本本土攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:25 UTC 版)
「インディペンデンス (CVL-22)」の記事における「沖縄戦・日本本土攻撃」の解説
1945年3月13日、修理を終えたインディペンデンスはウルシー環礁に戻り、翌日には沖縄に向けて出撃する(第58任務部隊、戦闘序列)。3月30日、31日には侵攻前の空爆を行い、沖縄戦第一日目の4月1日の攻撃では補給施設と航空機を破壊した。日本軍の絶望的な抵抗に対し、インディペンデンスの艦載機部隊は多数の敵機を撃墜した。インディペンデンスは6月10日まで沖縄水域に留まり、その後レイテ島に帰投した。 1945年7月1日、インディペンデンスはアーサー・W・ラドフォード少将指揮下の第38.4任務群に加わり、日本本土に対する最終攻撃のため出撃した。第38任務部隊は8月まで日本各地を攻撃し、インディペンデンスの艦載機は空中哨戒を行う一方、谷田部、浦河、室蘭 などを攻撃し、7月24日と28日の呉軍港空襲では軽巡洋艦大淀と重巡洋艦利根、戦艦榛名に損害を与えたと判定された。 8月15日の日本降伏後は、艦載機による捕虜収容所の捜索飛行を継続し、上陸部隊への航空支援を行った。インディペンデンスは9月22日に東京湾を出港し、サイパン島とグアム経由で10月31日にサンフランシスコに到着した。
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