沖縄戦直後の切手
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1945年6月23日に沖縄戦終結した後の沖縄県は、鹿児島県所属であった奄美群島などを加え、4つの地区に分割統治された。沖縄本島では、沖縄諮詢会が通信部を設置し、9月から無料で郵便の取り扱いを再開した。1946年10月からは郵便事業が有料となったが、切手の代わりに料金収納印が代用された。旧宮古支庁では、宮古群島郵便局が12月から在庫があった戦前の切手を用いて郵便事業を再開し、宮古民政府通信部が発足した1946年2月からは通信部長の認印を押したものが使われた。このように、沖縄戦直後の沖縄では戦前の切手の在庫に各群島の民政府通信部長の私印や検印を押したものが使われた。判を押したのは、一般人が持っていた在庫の切手と区別するためである。末期には日本からわざわざ新品の切手を取り寄せ、これに印を押したものもある。このため種類は非常に多いが、現存するものは少ない。なお、久米島では郵便局長が米軍の許可を得て謄写版などで独自に印刷した切手(久米島切手)がある。
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