日本本土への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:39 UTC 版)
朝鮮戦争は戦争発生以来、第二次世界大戦終結後にアメリカを中心とした連合国軍占領下の日本の政治、経済、防衛にも重要な影響を与え、一つの重大な転機とさえなった。 日本を占領しているアメリカ軍やイギリス軍からは韓国への援軍が順次送られていたが、劣勢が伝えられていた時期には士気が低下し、脱走兵による騒乱事件も発生した(小倉黒人米兵集団脱走事件)。 当時の国会では1946年1月に尾崎行雄が衆議院議長へ元号改元の意見書を提出したことを契機に、改元や廃止など元号問題が取り沙汰されていた。しかし朝鮮戦争の勃発により議題は棚上げされ、停戦以降も様々な問題への対処が優先されたため元号の議論は低調にとどまり、そのまま元号と西暦を併用し続けることとなった。 一時は国連軍が劣勢に立たされ、朝鮮半島の端まで戦線が下がったことから日本への上陸も憂慮されていたが、当時の防衛は占領軍頼みであり、民間でも自主的に対策が検討された。上野動物園では日本への戦闘拡大により飼育が困難となった際、戦時中の戦時猛獣処分の再現や空襲被害による動物の死亡・逃亡を避けるため、1950年末から1951年1月にかけてマニュアルを策定、伊豆大島への疎開を行う方針を固めていた。 朝鮮半島に近い山口県では、不穏な情勢を警戒した知事の田中龍夫が主導して開戦前からラジオ放送の聴取など情報収集を行い、政府にも報告していたが、首相の吉田茂は取り合わなかった。実際に戦争は起こり、釜山橋頭保に追い詰められた李承晩政権は、山口県に亡命政府を樹立することを打診してきた。 1950年6月29日22時15分、国籍不明機の接近により板付飛行場を中心に福岡・門司・小倉・戸畑・八幡・佐世保の6市で空襲警報が発令され、灯火管制が実施された(22時55分に解除)。
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