小倉黒人米兵集団脱走事件とは? わかりやすく解説

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小倉黒人米兵集団脱走事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/30 14:56 UTC 版)

小倉黒人米兵集団脱走事件(こくらこくじんべいへいしゅうだんだっそうじけん)は、1950年昭和25年)7月11日連合国軍占領下の日本である福岡県小倉市(現北九州市)で発生したアメリカ陸軍の兵士の大量脱走事件である。基地から多数のアフリカ系アメリカ人黒人)兵が集団で脱走し、周辺地区の住民に略奪暴行強姦を行なった。しかし連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による情報規制のためほとんど報道されず、被害者も口を閉ざしたことから、事件の詳細は分かっていない[1][2]


注釈

  1. ^ 福岡県警察は「黒人兵暴動」としている[1]
  2. ^ ディーン師団長は8月25日に捕虜となり、国連軍で捕虜となった最高位の人物となった。
  3. ^ 1951年(昭和26年)6月に小倉市は風紀取締条例を制定したが、これは九州でも佐世保市に続く2番目という早さだった。
  4. ^ 脱走兵の中には、少数だが白人の兵士もいた[8][9]
  5. ^ ただし、金を払ってワインを購入したり、団地の中にあった居酒屋で飲み食いするなど、合法的に飲酒をする兵士もいた[8]
  6. ^ 当時は旧警察法による自治体警察体制下で、警察は市と5,000人以上の市街的町村、郡単位で構成されていた。
  7. ^ 支給されたばかりのS&W M10[2]や、三萩野派出所に1丁だけある十四年式拳銃[18]が小倉市警察の数少ない銃器だった。

出典

  1. ^ a b c d 福岡県警察史編さん委員会・編『福岡県警察史』昭和前編 福岡県警察本部 1978年 P.848
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 毎日新聞西部本社『激動二十年-福岡県の戦後史』 1965年(後に再版。葦書房、1994年、ISBN 4-7512-0587-0)P.165 – 166
  3. ^ a b c d e f g 『福岡県警察史』昭和前編 P.849
  4. ^ a b c d e 『福岡県警察史』昭和前編 P.851
  5. ^ a b 『激動二十年-福岡県の戦後史』P.158 – 159
  6. ^ 『激動二十年-福岡県の戦後史』P.164 – 165
  7. ^ 『激動二十年-福岡県の戦後史』P.161 – 162
  8. ^ a b c d e f g 『福岡県警察史』昭和前編 P.850
  9. ^ a b c d e f g 『福岡県警察史』昭和前編 P.855
  10. ^ a b c d 『福岡県警察史』昭和前編 P.854
  11. ^ a b c d e 『福岡県警察史』昭和前編 P.853
  12. ^ a b 堺屋太一小松左京立花隆・編『20世紀全記録』 講談社 1987年 ISBN 978-4062026628 P.735
  13. ^ “「主婦が襲われた、夫の眼前で…」夏祭りの夜の惨劇…小倉でおこった米兵「250人」脱走事件” (jp). 文春オンライン. (2021年7月11日). https://bunshun.jp/articles/-/47020?page=3 2023年4月16日閲覧。 
  14. ^ 『福岡県警察史』昭和前編 P.856
  15. ^ 炎と緑と北九州の歩み. 西日本新聞社開発局出版部. (1973) 
  16. ^ “小倉の米兵集団脱走、浮かぶ被害 70年前、占領下の屈辱 一夜で窃盗・強姦未遂など42件” (jp). Mainichi Daily News. (2020年7月29日). https://mainichi.jp/articles/20200729/ddm/012/040/087000c 2021年2月10日閲覧。 
  17. ^ 『福岡県警察史』昭和前編 P.857
  18. ^ a b c d e f g 『福岡県警察史』昭和前編 P.852
  19. ^ 『論』 朝鮮戦争と「黒地の絵」 1950年が見えてくる”. ヒロシマ平和メディアセンター. 2021年2月10日閲覧。


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小倉黒人米兵集団脱走事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 00:56 UTC 版)

千代丸健二」の記事における「小倉黒人米兵集団脱走事件」の解説

1950年 朝鮮戦争の時、小倉(現北九州市)の米軍基地での黒人兵の脱走暴動事件について取材した。この新聞記事元に松本清張が「黒地の絵」を書いた

※この「小倉黒人米兵集団脱走事件」の解説は、「千代丸健二」の解説の一部です。
「小倉黒人米兵集団脱走事件」を含む「千代丸健二」の記事については、「千代丸健二」の概要を参照ください。

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