南北首脳会談(なんぼくしゅのうかいだん)
韓国と北朝鮮の両首脳が2000年6月、史上初の対面会談を行った。韓国側からは1998年2月に就任した金大中大統領、北朝鮮側からは1997年10月に就任した金正日総書記が出席した。
1994年の金日成主席の急死の後、南北の対話は平行線をたどっていたが、北朝鮮に積極的な経済援助を実施するなど柔軟な姿勢を打ち出した金大中大統領の太陽政策で状況は変わった。
2000年3月に発表した「ベルリン宣言」では、北朝鮮に対し、電力や農業施設などの社会基盤を整備することが提案された。
南北は、在韓米軍問題とミサイル・核兵器問題や1999年6月に発生した黄海侵犯に対する銃撃事件などの安全保障の問題をはじめ、離散家族や食料支援の問題など数多くの課題を抱えている。
対話をさらに進め、民族の和解と団結、交流と協力、平和と統一の実現に向けての第一歩を踏み出すことが期待されている。
(2000.05.20更新)
南北首脳会談
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南北首脳会談(なんぼくしゅのうかいだん)は、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の両首脳による首脳会談である。
注釈
出典
- ^ “金正日総書記訪中日誌”. 中央日報. (2010年4月1日) 2018年2月4日閲覧。
- ^ “金正日の訪中の目的が以前とは正反対”. デイリーNK. (2010年4月1日) 2018年2月4日閲覧。
- ^ “【社説】北朝鮮から贈られたマツタケに隠された涙”. 朝鮮日報. (2007年10月11日). オリジナルの2007年10月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「南北首脳会談の際、北に4億ドル送金」波紋呼ぶ疑惑”. 東亜日報 (2002年9月26日). 2018年2月4日閲覧。
- ^ 激動!!北朝鮮・韓国そして日本 歴史的必然と日本の選択 第5章. 実業之日本社. (2013年5月). ISBN 978-4-408-10994-7
- ^ “【取材日記】マカオの金正男に注目する理由”. 中央日報 (2011年12月30日). 2018年2月4日閲覧。
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- ^ “金正恩氏 本気示す?=朝鮮労働党本庁で南北首脳会談”. 聯合ニュース. (2018年9月18日) 2020年5月1日閲覧。
- ^ “2日目の南北首脳会談は平壌の百花園迎賓館で 文大統領の宿泊先”. 聯合ニュース. (2018年9月19日) 2020年5月1日閲覧。
- ^ “南北首脳が「白頭山」訪問 朝鮮民族の「聖地」”. 日本経済新聞. (2018年9月19日) 2020年5月1日閲覧。
- ^ “【南北首脳会談】両首脳が「革命の聖地」白頭山登山、最後までサプライズ接待で韓国取り込み”. 産経新聞. (2018年9月20日) 2020年5月1日閲覧。
- ^ “南北首脳、白頭山を訪問 北朝鮮の「聖地」”. 日本経済新聞. (2018年9月20日) 2020年5月1日閲覧。
- ^ “【萬物相】韓国政府の金正恩礼賛”. 朝鮮日報. (2018年3月8日). オリジナルの2018年3月8日時点におけるアーカイブ。
- 1 南北首脳会談とは
- 2 南北首脳会談の概要
- 3 第3回南北首脳会談(2018年4月)
- 4 関連項目
南北首脳会談
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詳細は「南北首脳会談」を参照 2000年6月13日から15日まで韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日国防委員長が朝鮮民主主義人民共和国の首都平壌で会談を行った。会談の結果、6.15南北共同宣言が発表された。1948年に朝鮮半島が南北を二分して以来、両国の首脳が会うのは史上初であった。金大中による対北宥和政策、太陽政策の結実と言える。金大中はこの功績により2000年にノーベル平和賞を与えられた。 以後、1985年に1回行われただけで以来途絶えていた離散家族の再会事業、大韓民国主催のスポーツ行事へ北朝鮮が参加するなど、民間レベルでの交流事業が本格化した。2000年の秋夕(中秋)には金正日から韓国へ3トンのマツタケが贈られた。また、朝鮮統一を見据えた南北交渉が進展し、分断されていた京義線、東海線の鉄道と道路の再連結事業なども進められた。日本やアメリカも雪解けムードに乗じて国交正常化交渉へ乗り出した。特に米朝関係は一挙に進展し、当時のマデレーン・オルブライト国務長官が訪朝、大統領訪朝による首脳会談の可能性すら囁かれた。 しかし2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領による「悪の枢軸発言」以降、アメリカによる北朝鮮敵視が明らかになると、南北首脳会談で生まれた協調ムードは再び緊張した。金正日国防委員長の早期ソウル特別市訪問も計画されていたが無期延期となった。このような圧力政策に押される中、北朝鮮は日本との関係改善に活路を見出し、2002年9月には日朝首脳会談が実現した。 また2003年2月には、南北首脳会談の直前に現代グループの手によって、5億ドルもの秘密支援が北朝鮮に対してなされていた事実が判明した。これは支援の時期的に南北首脳会談の対価として北朝鮮側に渡された可能性が高く、特別検事による捜査が開始されたが、捜査延長を盧武鉉大統領が許可しなかったことにより真相解明は中途半端なものになった。
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