第1回南北首脳会談とは? わかりやすく解説

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第1回南北首脳会談(2000年6月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:49 UTC 版)

南北首脳会談」の記事における「第1回南北首脳会談(2000年6月)」の解説

2000年6月13日から15日まで韓国金大中大統領北朝鮮金正日総書記国防委員長)が朝鮮民主主義人民共和国首都平壌会談行った1948年朝鮮半島南北分断され以来両国首脳会すのは史上であった会談結果6.15南北共同宣言発表された。金大中による対北宥和政策太陽政策結実と言える金大中はこの功績により2000年ノーベル平和賞与えられた。 金正日直前2000年5月最高指導者就任後の初外遊中国訪れており、中華人民共和国主席中国共産党中央委員会総書記江沢民南北首脳会談事前協議行っていたとされる以後離散家族再会事業大韓民国主催スポーツ行事北朝鮮参加するなど、民間レベルでの交流事業本格化した。2000年秋夕中秋)には金正日から韓国へ3トンマツタケ贈られた。また、朝鮮統一見据えた南北交渉進展し分断されていた京義線東海線鉄道道路再連結事業なども進められた。日本アメリカ雪解けムード乗じて国交正常化交渉乗り出した。特に米朝関係一挙に進展し当時マデレーン・オルブライト国務長官訪朝大統領訪朝による首脳会談可能性すら囁かれた。 しかし2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件アメリカジョージ・W・ブッシュ大統領による「悪の枢軸発言以降アメリカによる北朝鮮敵視明らかになると、南北首脳会談生まれた協調ムードは再び緊張した金正日早期ソウル訪問計画されていたが無期延期となったこのような圧力政策押される中、北朝鮮日本との関係改善活路見出し2002年9月には日朝首脳会談実現した。 また2003年2月には、南北首脳会談直前現代グループの手によって、4億ドルから5億ドルとも言われる違法な巨額送金北朝鮮に対してなされていた事実判明した中国北京マカオ香港経由して金正日とその長男金正男側近張成沢渡ったとされる。これは送金時期的に南北首脳会談対価として北朝鮮側に渡され可能性高く、特別検察官による捜査開始されたが、捜査期限延長盧武鉉大統領許可しなかったことにより真相解明中途半端なものになった

※この「第1回南北首脳会談(2000年6月)」の解説は、「南北首脳会談」の解説の一部です。
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