第1回凱旋門賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 18:36 UTC 版)
凱旋門賞の優勝賞金は約17万フランで、パリ大賞の33万フランには遠く及ばないものの、英国ダービー(約16万フラン)やフランスダービー(約14万フラン)を上回る賞金が提供された。しかしながら、フランス国内の鉄道は第一次世界大戦によって破壊されており、移動に時間がかかりすぎるためイギリスからの一流馬の参戦はなかったし、ヨーロッパの他の国々は戦争で疲弊し競馬どころではなかった。このため第1回の凱旋門賞は、奨励協会の期待に反し、外国からの出走はイギリスのカムラッド(Comrade)とスペインのヌウヴェラン(Nouvel An)のわずか2頭だった。このうちカムラッドは春にパリ大賞を人気薄でまんまと逃げ切った馬で、凱旋門賞では3番人気(4.4倍)となった。迎え撃つフランス勢の一番手は、前年の2歳チャンピオンのシドカンペアドール(Cid Campeador)で、3倍の本命となった。これに続くのが、パリ大賞でカムラッドを短頭差まで追い詰めたアンブリー(Embry)で、直前のロワイヤル・オーク賞を制して3.8倍の2番人気だった。このほかにはフランス牝馬二冠のフラワーショップ(Flowershop)が出走した。レースが始まると、カムラッドは抑えたままの体勢で優位となり、そのまま鞭を使うことなく楽勝し、もとは25ギニーの安馬だったカムラッドが、7戦全勝で初代凱旋門賞優勝馬となった。こうして第1回の凱旋門賞は、「外国の一流馬との対戦」も「フランス馬の優秀さの証明」もいずれも果たすことができずに終わった。
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