南北交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/05 05:57 UTC 版)
1948年1月には民族自主連盟総務局長に就任した。金奎植、金九などと南北交渉に参加した。南北連席会議の起草委員会に補選された。平壌で開催された会議で朴憲永がアメリカを「帝国主義者」、5.10単独選挙の参加者を「売国奴」と批判すると呂運弘は激怒し、修正するように抗議した。しかし朴憲永はこれに応じず、多数決で可否を決定しようとした。草案は満場一致で通過したため、ソウルに再び戻れない恐怖を抱いた呂運弘は一切の発言、採決を棄権した。その後は消極的に参加し1948年5月に帰国した。帰国後に統一問題の自主的解決を目指した統一独立促進会の中央執行委員に就任した。
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