南北スーダンの対立と南スーダン共和国の独立(1956~2011年)
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「日本と南スーダンの関係」の記事における「南北スーダンの対立と南スーダン共和国の独立(1956~2011年)」の解説
1956年1月1日に独立したスーダンの南部が南スーダンであるが、イスラム教・アラブ系・アラビア語を中心とする北部とアニミズム・キリスト教・アフリカ系・英語を中心とする南部とで根強い対立があり、第一次スーダン内戦(1955~1972年)と第二次スーダン内戦(1983~2005年)と合計40年近くにも及ぶ内戦が戦われていた。 南部の人々はアメリカ合衆国など国際社会を味方に付けて、独立の是非を問う住民投票に持ち込むことに成功し、2011年1月に国際監視下で住民投票を実施、98.83%もの圧倒的多数の独立賛成票を得た。同年7月9日、先の選挙の結果を受けて南部が「南スーダン共和国」として独立。同日、日本は松本剛明外務大臣による談話を通じて南スーダンの独立を承認、祝賀した。また、同日にジュバで開催された独立式典には、菊田真紀子外務大臣政務官が出席している。
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