選手団入場
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「2008年北京オリンピックの開会式」の記事における「選手団入場」の解説
続いてオリンピック各国代表選手団が入場行進した。この時、アトラクションで製作された巨大山水画は選手が通過するトラック上に置かれた。各国選手団は、山水画の上を通過する直前に五色の砂を足底につけて行進することになっており、モノトーンの「山水画」が入場する選手団に踏まれることで鮮やかに着色されるというフット・ペインティングが行われた。 参加国選手・役員の入場行進は、IOC(国際オリンピック委員会)の規定に従い古代オリンピック発祥の地で1896年に第1回大会を開いたギリシャで始まり、開催国の中国が最後であった。規定上その間の順序は開催国の言語に従うとなっており、国名を中国語(簡体字)表記したときの画数順となった。このため、日本の入場は23番目となった(#入場順と旗手一覧も参照)。シドニー(2000年)、アテネ(2004年)と2大会連続で続いていた韓国と北朝鮮の合同行進は、今回は行われなかった。 この時、日本の代表として出席した福田康夫首相が自国の選手に立って手を振らなかった。福田首相は開会式前も選手村で、「せいぜい頑張ってください」と激励の発言をしており、これと併せて「立って手を振らなかったのはうち(日本)の総理大臣と北朝鮮の代表だけだった」「(せいぜい、というのは)総理大臣がかける言葉と違うと思う」と批判の声も上がった。
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選手団入場
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「2000年シドニーオリンピックの開会式」の記事における「選手団入場」の解説
2,000人規模(うち1,000人はオーストラリアの演奏者、残る1,000人は諸外国の演奏者)によるマーチングバンドの演奏の中、選手入場が行われた。 演奏曲は、『ツァラトゥストラはこう語った』、『炎のランナー』、『交響曲第9番』、『Bugler's Dream』、『ワルチング・マチルダ』、『オリンピックファンファーレとテーマ(Olympic Fanfare and Theme)』などの他に、特に大きな28の国と地域の入場時には、その国にちなんだ曲を演奏。日本選手団の入場時は『さくらさくら』を演奏した。 日本選手団は「虹色の鮮やかなマント」を着用して登場したが、欧米では虹色はしばしば同性愛者をはじめとする「LGBT(性的少数者)の象徴」(詳しくは「レインボーフラッグ」を参照)として見られるため、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「日本人選手は全員がLGBT当事者ではないか」と驚いた現地の人も多かった[要出典]。 また、第1回南北首脳会談が実施されたばかりの韓国と北朝鮮が統一旗を掲げて合同入場行進を行ったほか、インドネシアから解放されたばかりの東ティモールの選手たちが五輪旗を掲げて最後(開催国オーストラリアの直前)に入場し、盛大な拍手を送られた。
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