選手村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/08 03:08 UTC 版)
選手村(せんしゅむら、Olympic Village)は、オリンピック大会で選手・役員などが寝泊りする場所のことである。最近ではカラオケができたり、インターネットカフェがあったり、或いは地球環境問題に配慮した設計にするなど単なる宿舎ではなくなりつつある。
訳語としては他にも「オリンピック村[1]」がある。ここでの村は英語のvillageの訳であり、村(村落)という意味ではなくtemporary community[2](一時的な共同体)である。実際は小さいとはいえ、宿泊者数は選手と選手団役員合わせて1万人を超えるなど都市の実体を持っている。
歴史・概要
選手村は1924年のパリ五輪から始められた。主催者は、選手たちを同じ屋根の下に集める構想に基づき、質素な木造の小屋からなる選手村を作り上げた。この小屋は閉幕後すぐに取り壊された[3]が、現在では若干の改修をして公営住宅等に転用されるケースが多く、部屋の造りなども転用を見越した設計となっている。
正式に選手村として施設が使用されたのは、1932年のロサンゼルス五輪が最初である。ただし、当時は男子のみ宿泊が可能であり、女子にはホテルが提供されていた。1948年のロンドン五輪から女子も利用できるようになった。
1972年9月5日のミュンヘンオリンピック事件を機に、厳重な警備が敷かれるようになった[4]。アクレディテーションカード(関係者証)を提示しないと、たとえ組織委員会委員であっても入場は拒否される。
イベントとしては、開村式・入村式(ウェルカムセレモニー[5])がおこなわれる[6]。
なお、少なくとも2012年のロンドン五輪においてはIOCが団体に認める選手枠外の「交代要員」は選手団に含まれないため、選手村に入ることは不可能だった[7]。
食堂
オリンピックの場合、選手村の食堂は大会期間中は24時間営業で無料で食事の提供を行う。主催国の料理のほか、出場する各国選手に配慮した料理が提供される[8]。なお、食事の質や量に不満を持つ国によっては、母国から料理人を呼び寄せるケースも存在する[9]。
日本国内にあった選手村
- 東京オリンピック(夏季・1964年)東京都渋谷区神園町(現:代々木神園町)。全面返還された在日米軍施設であるワシントンハイツ内の独身士官向け宿舎を選手村の本村(代々木選手村)として整備し、他に自転車競技の八王子選手村、カヌーの相模湖選手村、セーリングの大磯選手村、総合馬術の軽井沢選手村の計4か所の分村が開村された。代々木選手村は大会終了後に再整備されて代々木公園として開園した[10]。
- 札幌オリンピック(冬季・1972年)北海道札幌市南区真駒内緑町、現・五輪団地
- 広島・アジア競技大会(夏季・1994年)広島県広島市佐伯区・安佐南区 現・ひろしま西風新都
- 長野オリンピック(冬季・1998年)長野県長野市川中島町今井、現・今井ニュータウン(市営住宅)
- 東京オリンピック(夏季・2020年)東京都中央区晴海
- かつて東京国際見本市会場があった場所に整備され、大会終了後は「HARUMI FLAG」の名称でマンションに改築・改修され、全24棟・5632戸・12000人程度が居住する高級マンション群として生まれ変わり、2023年から随時入居が開始される予定である[11]。
日本国内に予定されている選手村
- 初代・名古屋競馬場敷地を再開発する。名古屋競馬場は弥富市にある現・弥冨トレーニングセンター(競馬場改修後の名称未定)に移転する予定である[12]。
- 大会終了後は素案としてアリーナなどの運動公園や、研究施設などの整備も検討されている[13]。
脚注
- ^ New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1967,1994,1998
- ^ Encarta(R) World English Dictionary (C) & (P) 1999,2000 Microsoft Corporation. All rights reserved. Developed for Microsoft by Bloomsbury Publishing Plc.
- ^ “エアコンなし? でも史上最高にエコな五輪、パリ選手村を見学”. CNN (2024年6月29日). 2024年7月7日閲覧。
- ^ “五輪招致特別企画 『ふたつの東京五輪』 「選手村(1)」”. 2017年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月30日閲覧。
- ^ “JOC - シドニーニュース”. www.joc.or.jp. 2022年1月30日閲覧。
- ^ “クイーンの曲で歓迎 五輪選手村で入村式”. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月30日閲覧。
- ^ 選手村にも入れず - ロンドン五輪2012特集 - MSN産経ニュース[リンク切れ]
- ^ “海外選手の胃袋を掴んでいる選手村の食堂 全容公開した南米選手に「これ全て無料?」”. THE ANSWER (2021年7月31日). 2024年7月27日閲覧。
- ^ “選手村レストランの料理不足問題、“怒り”の英国代表団が母国から専用シェフを緊急招集「需要が想像をはるかに超えている」”. DIGEST (2024年7月26日). 2024年7月27日閲覧。
- ^ “選手村”. 日本オリンピック委員会. 2021年7月3日閲覧。
- ^ “東京五輪選手村「晴海フラッグ」大会後マンションに” (2020年1月9日). 2020年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月30日閲覧。
- ^ “選手村 - 愛知県”. www.pref.aichi.jp. 2022年1月30日閲覧。
- ^ “2026年のアジア大会後“アリーナ”など整備へ 名古屋競馬場の場所に出来る選手村の跡地利用” (2020年11月15日). 2021年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月30日閲覧。
外部リンク
選手村
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「2014年アジア競技大会」の記事における「選手村」の解説
大会後の転用を考慮した施設配置となっている。日本のサッカー代表の宿泊施設例では、大会後に分譲マンションとして利用されることが前提となっており、25度を超える気候の中でエアコンなし、22階のフロアなのにエレベーターが機能せず、エレベーターの不具合で、居室のある22階まで階段での上り下りを余儀なくされた。さらに、風呂の排水施設が不完全といった建設途上の建物が割り当てられている。 サッカー日本代表チーム練習場は、ピッチの状態は良好であった。しかし、視界を遮るものがない状態であり、ロッカールームは使用できず、着替えはピッチ脇のテントの下。練習後にシャワーも利用できず、テントの下で汗を拭いてから引き上げるという日々を送っていた。手倉森誠監督は「シャワーも浴びずに帰るのは高校生以来だな」と嘆き節だった。 選手の部屋にはエアコンがないため、就寝時の暑さによる体力の消耗を防ぐために窓を開けるしかなかった。しかし網戸がなく、体中を蚊に刺される選手が相次いだため、日本選手団は急きょ自腹で大量の蚊帳を調達し選手に配布した。 自国開催の韓国のサッカー代表チームは、トラブル続出の選手村に入らずパジュのナショナルフットボールセンターで合宿を実施し、宿舎から練習場は目の前という充実した施設で準備を進めた。練習グラウンドまでバスで片道約40分かけて移動した日本とは雲泥の差だった。 中国の男子バスケットボール選手たちは粗末でサイズもまちまちな部屋に宿泊し、部屋が足りないからかキッチンに置いたベッドで寝る選手もいた。
※この「選手村」の解説は、「2014年アジア競技大会」の解説の一部です。
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「選手村」の例文・使い方・用例・文例
- 1972年ミュンヘンオリンピック開催中,パレスチナのテロリストがオリンピックの選手村を襲撃する。
- そのような従業員約130人が世界中のマクドナルドのレストランから北京へやって来て,五輪選手村やプレスセンターにあるマクドナルドの店舗で働くことになっている。
- 同ハウスはオリンピックの選手村から徒歩約10分のところにある。
- 食堂では,選手たちは日本のお米やサバのみそ煮,きんぴらゴボウなど,選手村では食べることのできないさまざまな日本食を味わうことができる。
- 競技会場のうち85パーセントは選手村から8キロ以内に配置される予定だ。
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