1972年ミュンヘンオリンピックとは? わかりやすく解説

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1972年ミュンヘンオリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/24 13:55 UTC 版)

1972年ミュンヘンオリンピック
第20回オリンピック競技大会
Jeux de la XXe olympiade
Games of the XX Olympiad
Spiele der XX. Olympiade
開催都市 西ドイツ ミュンヘン
参加国・地域数 121
参加人数 7,134人(男子6,075人、女子1,059人)
競技種目数 21競技195種目
開会式 1972年8月26日
閉会式 1972年9月11日
開会宣言 グスタフ・ハイネマン 大統領
選手宣誓 ヘーディ・スチュラー
審判宣誓 ヘインズ・ポラー
最終聖火ランナー ギューター・ザン
主競技場 ミュンヘン・オリンピアシュタディオン
夏季
冬季
Portal:オリンピック
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ミュンヘンオリンピック会場

1972年ミュンヘンオリンピック(1972ねんミュンヘンオリンピック)は、1972年8月26日から9月11日まで、西ドイツ(現:ドイツ)のミュンヘンで開催されたオリンピック競技大会ミュンヘン1972(Munich 1972、München 1972)と呼称される。

オリンピック史上最悪の悲劇といわれるミュンヘンオリンピック事件が発生したことで知られる。

大会開催までの経緯

ミュンヘンオリンピックの開催は1966年4月26日イタリアローマで開かれた第64回IOC総会で決定された。

1972年夏季オリンピック 開催地投票
都市 1回目 2回目
ミュンヘン 西ドイツ 29 31
マドリード スペイン 16 16
モントリオール カナダ 6 13
デトロイト アメリカ合衆国 6 -

大会マスコット

マスコットはダックスフントがモチーフになったバルディーで、夏季オリンピック大会に登場した最初の大会マスコットでもあった。

ポスターデザイン

オリンピックのポスターデザインに、日本からは荒川修作が参加した。

ハイライト

ドイツでの開催は、1936年ベルリン大会以来2回目となるが、第一次世界大戦により開催取り止めとなった1916年大会も回次が残る(「みなし開催扱い」)ため、公式上は3回目となる。しかし、マスメディアにおける報道では現実に行われた開催回から考慮されるため、ドイツで2回目の五輪として報道される場合がほとんどである。第二次世界大戦後としてはドイツ初となるオリンピック開催であり、当時は分断国家であった東ドイツ西ドイツの相互承認と国際連合への同時加盟を間近に控えていた時期でもあった。

この大会から、柔道ハンドボールが正式種目として復活した。開会式で選手宣誓だけでなく審判宣誓も行うようになったのも、この大会からである。

日本男子体操が最も強さを誇った大会でもある。全8種目24個のメダルのうち、16個を日本が獲得。団体では、1960年ローマ1964年東京1968年メキシコに続いて4連覇。個人総合と鉄棒と平行棒では金銀銅メダル独占。鉄棒金メダルの塚原光男が開発した「月面宙返り」が、以後世界の体操界で長年使用される革命的な技となる。

日本男子バレーボールは大会前から日本国内の話題をさらい、テレビ番組「ミュンヘンへの道」なども放送されていた。準決勝の対ブルガリア戦でセットカウント0-2からの奇跡の逆転劇を演じ、金メダルを獲得。

競泳マーク・スピッツアメリカ)が、出場した全種目(自由形100m・200m、バタフライ100m・200m、リレー400m・800m、メドレー400m)において全て世界記録で優勝し、7個の金メダルを獲得。北京オリンピックマイケル・フェルプスが8個の金メダルを獲得するまでは、1大会で獲得した最多金メダル記録だった。

男子バスケットボール決勝(アメリカ対ソ連)では、この種目の採用以来無敗を誇ったアメリカが終了間際に逆転され、初めて敗れる波乱があった。ソ連が逆転に成功した、試合時間残り3秒からのプレイの中断と再開及びそのやり直し(タイムを戻してのリプレイ)という一連の処置を不服としたアメリカチームは、表彰式の出場と銀メダルの受取を拒否した。

次回大会のモントリオールオリンピック以降は一部の国がボイコットで不参加となったため、ほぼ全世界の国と地域が参加したオリンピックとしてはソウルオリンピックまで待たねばならなかった。

ミュンヘンオリンピック事件

会期中の9月5日パレスチナゲリラが選手村のイスラエル選手宿舎を襲撃した。イスラエル選手団のレスリングコーチとウエイトリフティングの選手を殺害した後、9人を人質にした。救出は失敗し、銃撃戦の末、人質9人全員とゲリラ5人、警官1人が死亡する大惨事となった。

主な競技会場

  • グレーター・ミュンヘン地区

実施競技と日程表

競技名 / 日付
開会式/閉会式
陸上競技
ボート
バスケットボール
ボクシング
カヌー
自転車競技
フェンシング
サッカー
体操
ウエイトリフティング
ハンドボール
ホッケー
柔道
レスリング
競泳
飛び込み
水球
近代五種
馬術
射撃
アーチェリー
バレーボール
ヨット
水上スキー
バドミントン


註.バドミントンと水上スキーは公開競技

各国の獲得メダル

国・地域
1 ソビエト連邦 50 27 22 99
2 アメリカ合衆国 33 31 30 94
3 東ドイツ 20 23 23 66
4 西ドイツ(開催国) 13 11 16 40
5 日本 13 8 8 29
6 オーストラリア 8 7 2 17
7 ポーランド 7 5 9 21
8 ハンガリー 6 13 16 35
9 ブルガリア 6 10 5 21
10 イタリア 5 3 10 18

主なメダリスト

冬季オリンピック招致へ

2009年にミュンヘンは2018年冬季オリンピックの開催地に立候補した。実現すれば史上初(※)となる同一都市での夏・冬五輪開催となるはずであったが、韓国平昌に敗れた。

(※)厳密には軽井沢町が、1964年東京オリンピック馬術を、1998年長野オリンピックカーリングを、それぞれ開催しており、競技会場としては長野県が世界で初めて夏季冬季両方のオリンピックを開催したことになる。開催都市としては、北京が史上初の同一都市での五輪開催となる。

関連項目

外部リンク


1972年ミュンヘンオリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/20 06:25 UTC 版)

マイク・バートン (競泳選手)」の記事における「1972年ミュンヘンオリンピック」の解説

選考会での結果により個人種目1500m自由形のみの出場となったが、決勝世界新記録樹立し五輪2連覇達成した1500m自由形での2連覇アメリカ人バートンのみが達成している。 1977年国際水泳殿堂入り果たした

※この「1972年ミュンヘンオリンピック」の解説は、「マイク・バートン (競泳選手)」の解説の一部です。
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