1928年アムステルダムオリンピックとは? わかりやすく解説

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1928年アムステルダムオリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/21 16:14 UTC 版)

1928年アムステルダムオリンピック
第9回オリンピック競技大会
Jeux de la IXe olympiade
Games of the IX Olympiad
Spelen van de IXe Olympiade
開催国・都市 オランダ アムステルダム
参加国・地域数 46
参加人数 2,694人
競技種目数 16競技119種目
開会式 1928年7月28日
閉会式 1928年8月12日
開会宣言 ハインリヒ・ツー・メクレンブルク王配
選手宣誓 ハリー・デニス
主競技場 オリンピスフ・スタディオン
夏季
冬季
Portal:オリンピック
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1928年アムステルダムオリンピック(1928ねんアムステルダムオリンピック)は、1928年7月28日から8月12日まで、オランダアムステルダムで行われたオリンピック競技大会アムステルダム1928(Amsterdam 1928)と呼称される。

ハイライト

  • 開会式で開会式ではギリシャが先頭、開催国(オランダ)が最後に入場するというスタイルが初めて採用された。日本はオランダ語アルファベット順にで22番目に入場。役員はモーニングシルクハット。選手は紺色の上着に白ズボン、白い靴で入場行進を行った。参加国総数46、入場が終わるまでに約1時間を要した[1]
  • 長らくクーベルタンらの反対で見送られてきた女性の陸上競技への参加が初めて認められ、女性への門戸開放という点で大きく進歩した大会であった。日本からは人見絹枝が出場し、800mで銀メダルを獲得した(日本最初の女子メダリスト)。女子800mではレース後に多くの参加選手が倒れ、その苛酷さを理由にして200mより長い女子陸上競技は1960年代まで実施が見送られた。
  • 日本から織田幹雄鶴田義行が悲願だった金メダルを獲得した。織田の優勝は大会関係者が想定できず、他国の旗より4倍の巨大な日章旗が表彰式の国旗掲揚で使用され、君が代の吹奏も運営上準備が整っておらず、「さざれ石の」と途中から行われた[2]。開催時はまだ表彰台は用意されておらず、国旗の掲揚による表彰のみで、1932年ロサンゼルスオリンピック以降から表彰台が用意された。なお、織田の優勝時の三段跳び記録(15m21cm)は1964年東京オリンピックを開催した国立霞ヶ丘競技場に立てられた「織田ポール」として採用され、同競技場の解体まで存在していた。
  • 大会で初めて聖火が使用され、大会中に継続して燃やされた。ただし、点火はガス会社の作業員によるものだった。
  • またコカ・コーラが史上初の大会スポンサーになり、コカ・コーラが参加関係者に支給された。
英領インドのホッケーチーム
金メダルを獲得したオランダ女子体操チーム
  • 陸上競技とともに体操でも女子選手の参加が認められた。この体操競技では女子は団体総合のみが行われてオランダが優勝したが[注釈 1]、13選手中ユダヤ人だったステラ・アグリスアッべオランダ語版エルカ・デ=レヴィオランダ語版レア・ノルドハイムオランダ語版アンス・ポラックオランダ語版は第二次大戦中のホロコーストにより1943年ソビボル強制収容所へ収容され、生還したデ=レヴィを除いて全員死亡した。
  • 当時王太子だったオーラヴ5世セーリングに出場し金メダルを獲得している。なおノルウェーの金メダルはこれのみだった。
  • 文芸コンクールが同時に行われており、その時の優勝者はポーランドの詩人カジミェシュ・ヴィエジンスキであった[3]
  • アムステルダム大会から日本国の予算で選手渡航費が計上された。それまでは自費で渡航していた。予算要求の際に13万円を計上していたが、大蔵省が6万円に減額査定を行ったため渡航費が不足。内閣機密費外務省経費、農林省の馬質改良競馬補助費から充当が行われ、40人分12万円が用意された[4]

実施競技

公開競技

各国の獲得メダル

国・地域
1 アメリカ合衆国 22 18 16 56
2 ドイツ 10 7 14 31
3 フィンランド 8 8 9 25
4 スウェーデン 7 6 12 25
5 イタリア 7 5 7 19
6 スイス 7 4 4 15
7 フランス 6 10 5 21
8 オランダ(開催国) 6 9 4 19
9 ハンガリー 4 5 0 9
10 カナダ 4 4 7 15

脚注

注釈

  1. ^ 男子は個人総合と種目別5競技も実施され、団体ではスイスが優勝。

出典

  1. ^ 参加四十六カ国、華やかに開会式『大阪毎日新聞』昭和3年7月29日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p40 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  2. ^ 春秋三, p. 36.
  3. ^ C・ミウォシュ『ポーランド文学史』未知谷、2006年、652p頁。 
  4. ^ 日本選手団派遣費は四十人分十二万円『東京日日新聞』昭和2年12月15日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p31 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

関連項目

外部リンク




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