新潟日赤センター爆破未遂事件
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新潟日赤センター爆破未遂事件(にいがたにっせきセンターばくはみすいじけん)とは、中国地方各地における韓国工作員による密出入国と、1959年12月4日韓国代表部(領事館)の金永煥三等書記官などにより企てられた新潟県での暗殺・爆破テロ未遂事件。
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- ^ 在日朝鮮人帰国問題の真相・日本赤十字社
- ^ 『朝日新聞』 1959年7月13日 2面 「大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人」在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。これによれば在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は二百四十五人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。一、戦前(昭和十四年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約百万人で、終戦直前(昭和二十年)には約二百万人となった。増加した百万人のうち、七十万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの三十万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関-釜山間の運航が止まるまでのわずか七ヵ月間であった。一、終戦後、昭和二十年八月から翌年三月まで、希望者が政府の配船、個別引揚げで合計百四十万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和二十一年三月、連合国の指令に基く北朝鮮引揚計画で三百五十人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち七五%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって残留したものである
- ^ 『朝日新聞』 1959年7月14日夕刊2面 「外務省発表はデタラメ、徴用者の数 朝鮮総連が反論」 十一日外務省が出した在日朝鮮人についての発表に対し、朝鮮総連では「全く事実に反した帰国遅延策である」との声明を十四日発表、とくに外務省の数字について反論している。主な論点は次の通り。 外務省数字では戦前の在日朝鮮人が約百万人、戦時中の増加が約百万人、増加分の内訳は個別渡航者七十万人と募集労務者卅万人、徴用令によるものはごくわずかだったとしているが、これは誤りで、大蔵省の部内資料「日本人の海外移動に関する歴史的調査」によれば、一九三九年から七年間の「朝鮮人労務者の対日本動員数」は七十二万五千人となっている。また日赤発行の「一部在日朝鮮人の帰国問題」によると、戦時中軍人軍属として応召した朝鮮人は「陸海軍を合わせ三十六万五千人」となっている。この二つを合わせただけでも百九万人以上が戦時徴用または軍事的雇用を受けたことを示している。また山口県宇部地区だけでも、強制徴用残留者は二百四十五人いる。外務省発表の「全国で残留徴用者は二百四十五人」との数字は全くデタラメである。」
- ^ “在日朝鮮人、戦時徴用はわずか245人”. 産経新聞. (2010年3月11日) 2010年3月11日閲覧。
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- ^ 2009年報道のTBSでは、崔成奎、趙承培、金石泉ら24名、2007年の金賛汀は18名としている
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- ^ a b c 『毎日新聞』1960年5月12日夕刊
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- ^ “闇の部隊「北送阻止隊」 (2009/9/26 放送)”. TBS. (2009年9月26日) 2010年2月9日閲覧。
- ^ 在日朝鮮人帰国事業の阻止に向け動いた工作隊(上)
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- ^ “闇の部隊「北送阻止隊」 (2009/9/26 放送)”. TBS. (2009年9月26日) 2010年2月9日閲覧。
- 1 新潟日赤センター爆破未遂事件とは
- 2 新潟日赤センター爆破未遂事件の概要
- 3 韓国工作員のテロ計画
- 4 出典
- 5 関連項目
新潟日赤センター爆破未遂事件
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「不審船」の記事における「新潟日赤センター爆破未遂事件」の解説
詳細は「新潟日赤センター爆破未遂事件」を参照 (1959年12月4日)韓国政府は日本赤十字社と北朝鮮政府と在日朝鮮人が共同で行おうとした在日朝鮮人の帰還事業を新潟日赤センターや日本国内の列車、船舶の爆破や要人拉致などのテロ活動によって妨害を図ろうとして、船で工作員を繰り返し日本に密入国させていた。海上保安庁の巡視船に摘発されることもあり、下関沖では沈没事件を起こし死者も出た。死者は韓国国立墓地で顕彰されている。
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