南北離散家族交流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/21 09:36 UTC 版)
詳細は「離散家族」を参照 離散家族問題は韓国と北朝鮮の南北対話が開始された当初から最重要課題の一つとして取り上げられてきた。1972年の南北共同声明の後に開始された南北赤十字会談では離散家族の身元確認を迅速に行い、再会を進めていくことについて話し合われた。しかし南北の意見の差は大きく、全く話し合いはまとまらないうちに翌1973年には南北赤十字会談は中断してしまった。 その後も南北間は断続的に対話を続けてきたが、1985年8月に「南北離散家族故郷訪問・芸術団公演」という形で、初めて離散家族の再会が実現した。これは南北双方の赤十字社総裁の引率のもと、離散家族と芸術団が板門店を経由してソウルと平壌を相互訪問するという内容であった。しかしその後に大韓航空機爆破事件などが発生し、南北関係も冷え込む時期が続いたために訪問は一回だけのものに終わった。 離散家族問題が大きく動き出したのは1998年の金大中大統領の就任後である。金大中は南北融和を唱えて太陽政策を推し進めた。そのような中、2000年6月には平壌で金正日と南北首脳会談を行い、南北共同宣言を発表した。宣言には離散家族の再会を進めることが挙げられており、2000年8月、第1回の離散家族再会がソウルと平壌で行われることになった。
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