南北路線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 02:29 UTC 版)
合併後、ロンドン行きの列車は距離の短いミッドランド・カウンティーズ鉄道の経路に移された。かつてのバーミンガム・アンド・ダービー・ジャンクション鉄道の路線には、当時はまだ重要な海港であったバーミンガムとブリストルまでの列車が残された。ダービーからの、1839年に建設された当初の経路は、ハンプトン=イン=アーデン駅(英語版)を通らなければならなかったが、1842年にローリー・ストリート駅(英語版)をまず建設し、続いて1851年にミッドランド鉄道はカーゾン・ストリート駅(英語版)へ運行するようになった。 南への路線はバーミンガム・アンド・ブリストル鉄道(英語版) で、キャンプ・ヒル駅(英語版)を経由してカーゾン・ストリート駅へ到達していた。この路線は、標準軌のバーミンガム・アンド・グロスター鉄道(英語版)と、広軌のブリストル・アンド・グロスター鉄道(英語版)の合併によって成立した。 両者はグロスターにおいて、チェルトナム・アンド・グレート・ウェスタン・ユニオン鉄道(英語版)を介して接続していた。軌間の違いは、グロスターにおいてすべてを列車間で積み替えなくてはいけないということを意味し、混乱をきたしていた。さらに、チェルトナム・アンド・グレート・ウェスタン・ユニオン鉄道はグレート・ウェスタン鉄道の傘下にあり、グレート・ウェスタン鉄道はブリストルからバーミンガムへの路線を買収することによって鉄道網を拡張しようと考えていた。両者が価格を巡って争っている間に、ミッドランド鉄道のジョン・エリスは、バーミンガム・アンド・ブリストル鉄道の重役2人がロンドンへの列車において事業について議論しているのを聞きつけ、彼の独断でミッドランド鉄道はグレート・ウェスタン鉄道が提示する以上の額を出すと保証した。 グレート・ウェスタン鉄道の延伸はカーゾン・ストリート駅へ広軌の路線が到達することを意味し、さらにマージーまで延長する可能性もあることであったため、他の標準軌の鉄道会社も避けたいことであり、それがどんな損害をもたらすことになろうとミッドランド鉄道がこの鉄道を買収することを支援すると誓った。この事件で、後のロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道(英語版)にとって必要であったのは、バーミンガム・ニューストリート駅が1854年に開業した際にミッドランド鉄道の乗り入れを認めることだけであった。この時点で、ローリー・ストリート駅は貨物駅となった。
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