公社設立以後とは? わかりやすく解説

公社設立以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 22:32 UTC 版)

名古屋高速道路」の記事における「公社設立以後」の解説

当初計画では、1970年度から1979年度までの10年間で建設終えこととされたが、折しもこの時期高度経済成長のひずみとして水俣病四日市ぜんそく等の公害問題顕在化し、自動車交通においても騒音大気汚染問題国民関心集める中で、名古屋高速では建設阻止向けた住民運動各地域展開された。さらに1973年昭和48年)には住民運動時の市議会動かして都市高速道路関連予算の執行停止招いた挙句直後実施され名古屋市長選挙では、都市高速建設推進派の現職杉戸清破って都市高速建設反対派から推薦され本山政雄当選したそれまで市政自民党主体保守政治であり、市民目線よりも経済優先政治であったことから市民生活二の次にしたきらいがあった。このため公害等の問題噴出することになり、本山当選させた時代背景には、高度経済成長開発優先既存政治嫌気がさした地域住民市民本位政治強く求めたことによった。なお、市民目線政治革新政治とも呼ばれた)を求め流れ全国レベル展開され太平洋ベルト主要都市首長選挙東京都美濃部都知事を例として軒並み革新派当選することになった。 だが、一度スタート切った都市高速建設革新市政止めることは不可であった市長就任後本山は、建設反対住民対応と、それに迎合して建設撤回になった場合議会への説得同意の必要、そしてこの時点橋脚一部完成していたことから、その取り壊しとそれに要する費用問題、およびそれまで注ぎ込んだ建設費の市による返済建設業者への損害賠償など、複雑に絡み合った問題前にして全く身動き取れなかった。このため本山は、都市高速建設方向性は既に決定済であることから、住民理解納得得たうえで建設推進する旨を表明し予算凍結解除向けて市議会承認を得るべく反対住民説得のために環境対策補償制定し同年12月末には議会から解除取りつけることに成功した。ただし、引き続き道路構造等環境係わる点については検討加えその間建設中止する旨を付け加えた。これと前後して本山建設再開に向けて調査専門委員会環境対策検討依頼その結果提示された案が全面地下式の採用であり、これであれば騒音排気ガス日照阻害景観配慮全て解決可能である。しかし、高架式に比べ地下式はコストが3倍かかるとされ、名古屋市苦し財政状況下では全区間での採用は叶わず、全体30パーセントにとどまることになった。それでも地方財政圧迫することから、2本ある南北路線内の1本(高速3号)を棚上げすることになった。 こうして不完全ながら住民対応として環境対策プラン立案して建設再開決まったが、この間の長すぎた停滞オイルショックとも重なって石油価格の上昇を伴い、それは必然的に物価ひいては建設費増大となって跳ね返ることになった。なお、時代経過とともに建設費がいかに上昇したかは次の例で表される1972年昭和47年)の大高線建設開始当初1 km換算工事費70億円、それが30年後の2003年平成15年)には200億円(いずれも高架構造での比較)と約3倍に跳ね上がっている。また、1972年昭和47年)に比べその5年後には2倍の工事費なければ落札されなくなるなど、1970年代限って見て物価は凄まじい勢いで上昇したのであり、後年市長引退間際本山新聞社インタビューで、自分判断の遅れによって建設費増大招いたことを認め都市高速効果考えて早急に整備すべきであることを述べている。 本山市政における停滞受けて1985年昭和60年)に市長就任したのが西尾武喜であった立候補以前から都市高速問題自身政治活動最大懸案事項であることを理解していた西尾は、立候補先立って支持政党道路問題自分援護してくれるのか確認取っている。そして都市高速早期整備公約掲げ西尾お墨付き与えた各政党は、「早期整備の意味が、建設停滞公社経営の悪化召致させかねない半地下地下構造から再度高架構造への回帰示唆することを暗黙のうちに了解した。そして就任直後から地域住民による猛烈な建設反対運動押しのけて高架式に再変更のうえ都心環状線1号線の全線供用漕ぎ着け2号東山線留保区間解除高速3号建設道筋与えた本山市政では遅々として進まなかった建設速度1980年代後半以降急激に向上したのは、西尾政治手腕さることながら市民都市高速対す意識の変化があった。それは本山初当選した時代異なり公害対策よりも経済指向強くなったことから一部地域住民例外とする他は大した反対もなく、各政党間の協調とも相まって事業推し進めやすいという事情もあった。 総括すれば名古屋高速建設の歴史公害対策地域住民説得歴史でもあり、この廻間建設滞ったこともあって当初1979年度までに全線供用とする計画最終的に2013年平成25年11月までずれ込むことになった。そして公団方式ならまだしも地方自治体民間資金メイン構成される公社方式としての建設運営であることから厳し地方財政制約もあって、多額資金要する環境対策重視道路構造経費節減のために破棄せざるを得ない状況となった。こうして計画二転三転したことから、さらなる工事遅延招いた。そして年毎物価上昇続け西尾市政で建設速度向上する適切な建設タイミングを完全に逸したことから、結果的に公社莫大な借金背負うことになった。ただし、反対住民との対話通して首都阪神ではさほど顧みられなかった環境対策充実することになり、さらに副次的な効果として基幹バスバスレーン設置および水害対策や一道路整備などが実施され地域住民利便性資することになった

※この「公社設立以後」の解説は、「名古屋高速道路」の解説の一部です。
「公社設立以後」を含む「名古屋高速道路」の記事については、「名古屋高速道路」の概要を参照ください。

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