西尾武喜とは? わかりやすく解説

西尾武喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 14:14 UTC 版)

西尾 武喜
にしお たけよし
生年月日 1925年1月10日
出生地 岐阜県恵那郡阿木村(現・中津川市阿木)
没年月日 (2006-08-29) 2006年8月29日(81歳没)
死没地 愛知県名古屋市瑞穂区
出身校 京都大学工学部土木工学科
所属政党 無所属
称号 旭日中綬章
従四位
親族 父・西尾彦朗(中津川市長)

当選回数 3回
在任期間 1985年昭和60年)4月28日 - 1997年平成9年)4月27日
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西尾 武喜(にしお たけよし、1925年大正14年)1月10日[1] - 2006年平成18年)8月29日[1])は、名古屋市長(3期)。父は中津川市長の西尾彦朗(1899年明治32年) - 1986年昭和61年))。

来歴

岐阜県恵那郡阿木村(現・中津川市阿木)出身。旧制高知高等学校を経て昭和24年に京都大学工学部土木工学科卒業後、名古屋市に入り、名古屋市水道局(現・名古屋市上下水道局)に入局。水道畑を歩む。名古屋水道労働組合初代青年婦人部長、名古屋市水道局技監、水道局長、名古屋市助役などを歴任した。

1985年(昭和60年)、社会党公明党民社党から誘いを受け[2]、名古屋市長選挙へオール与党候補として立候補し初当選した。1997年(平成9年)まで名古屋市長を3期務めた。在任中に市制100周年事業として世界デザイン博覧会1989年(平成元年))等を行った。市長退任後は、名古屋都市センター理事長を2005年(平成17年)まで務めた。

2006年(平成18年)8月29日、多臓器不全のため名古屋市瑞穂区の病院で死去、81歳没。死没日をもって旭日中綬章追贈、従四位に叙される[3]

選挙

1期目(1985年
推薦 = 自由民主党日本社会党公明党民社党社会民主連合(以下全て同じ)
本山政雄前市長の後継候補として市会統一候補となる。元々は日本共産党とも政策協定を結ぶ予定だったのだが破棄される。共産党は対立候補として海保孝を擁立。この後、2009年(平成21年)春に与党分裂で市長選挙が行われるまで、市会では「共産党を除くオール与党」体制が続いた。
2期目(1989年
推薦 = 1期と同じ
対立候補には弁護士の竹内平が共産党推薦で出馬していた。
3期目(1993年
推薦 = 1期と同じ
対立候補には前回と同じく共産党推薦の竹内平、藤前干潟を守る会代表の辻敦夫が出馬した。

著書

  • 『感激なき人生はうつろなり』水道産業新聞社、2005年7月。ISBN 978-4915276248 

脚注

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、238頁。
  2. ^ 本山政雄 『心かよう緑の町を』風媒社、1999年4月30日、187頁。
  3. ^ 『官報』第4434号11頁 平成18年10月2日号




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