「のぞみ301号」の経緯
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「名古屋飛ばし」の記事における「「のぞみ301号」の経緯」の解説
1991年11月2日 - JR東海が、東海道新幹線における新設の速達列車(仮称:スーパーひかり)の東京発一番列車を、名古屋駅と京都駅を通過する方針とすることが明らかになり、『中日新聞』夕刊が「名古屋飛ばし」と1面トップで採り上げる。 11月3日 - 『中日新聞』朝刊が「ナゴヤは怒ってます」の見出しでこの件を報道し、中部経済連合会会長・名古屋商工会議所会頭・西尾武喜、その他各界の反応を伝えた。 11月4日 - 愛知県知事鈴木礼治と名古屋市長西尾武喜が定例会見でこの件について触れ、鈴木は「地域間競争の教訓としなければならない」と述べた。 11月5日 - 名古屋圏の半径20kmの46市町村長の会合である名古屋市近隣市町村長懇談会で、「名古屋飛ばし」と地域振興についての話し合いが行われる。 11月6日 - 超党派の国会議員により「スーパーひかりと東海地域を考える会」が発足。今枝敬雄が須田寬に面会し、12日の会合に出席するように要請。 11月9日 - JR東海労働組合が会社側へ「名古屋飛ばし」反対を申し入れる。 11月12日 - 東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)選出の超党派国会議員で結成された「スーパーひかりと東海地域を考える会」が会合を持った。出席者は国会議員24人と代理出席9人、須田も参加した。この中で「一本許せば、次々と名古屋飛ばしが出る」と旧愛知県第1区の衆議院議員、今枝敬雄が声を上げると、他の議員も「地元で応援しているのに、恩を仇(あだ)で返すのか」と追及した。 11月14日 - 須田が名古屋市役所を訪問。名古屋市議会議長に「同時間帯には名古屋からの乗客がほとんどない」と経過を説明し、議会運営委員会理事会にも出席して理解を求めた。これに対して地元側は「名古屋飛ばしは1本だけである」ことの確約を要求した。 11月20日 - 愛知県知事・県議会議長、名古屋市長・同市議会議長の4人がJR東海へ要望書を送る。 28日 - JR東海は「名古屋飛ばしは1本のみ」と回答。 12月6日 - 「スーパーひかり」と仮称された列車名称が「のぞみ」に決定。 12月25日 - 『ミックスパイください』で、今年の流行語として「名古屋飛ばし」を『現代用語の基礎知識』編集長の深川章が解説。 1992年3月14日 - 「のぞみ」301号運転開始。『モーニングワイド』が朝7時40分の名古屋駅通過を生放送し、同時間帯の『ズームイン!!朝!』でも中京テレビアナウンサーの佐藤啓が「まさか私の目の前で乗客がいる列車の名古屋駅通過の瞬間を見るのは初めてであり、これは長年名古屋に住んでいる私達への冒涜でありましょうか?」とレポートした。また同日朝8時30分から放送の『海江田万里のパワフルサタデー』も放送開始直後に新大阪駅に到着した「のぞみ301号」を生放送した。 1997年11月29日 - 「のぞみ301号」が続行の「のぞみ1号」に統合する形で廃止。新幹線の「名古屋飛ばし」はこの日で消滅する。
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