大喜多寅之助とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大喜多寅之助の意味・解説 

大喜多寅之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 23:30 UTC 版)

大喜多寅之助
生年月日 慶応2年11月20日1866年12月26日
出生地 日本美濃国大垣
没年月日 1961年昭和36年)2月13日
出身校 東京帝国大学法科大学
前職 弁護士

名古屋市長
テンプレートを表示

大喜多 寅之助(おおきた とらのすけ、慶応2年11月20日[1]1866年12月26日) - 1961年昭和36年)2月13日[2])は、名古屋市長弁護士

経歴

美濃国大垣出身[1]1866年に父・次助と母・幸の第6子(五男)として生まれる[3]。大垣小学校、岐阜華陽学校大垣分校[4]大学予備門第一高等中学校を経て、1888年明治21年)に東京帝国大学法科大学に入学した[1]1892年(明治25年)に卒業した後は名古屋市で弁護士事務所を開業した[1]。弁護士業務のかたわら、愛知法律学校を創設して校長に就任し、また『金城新報』の編集監督も務めた[1]1896年(明治29年)には名古屋弁護士会長に選出された[1]

名古屋市会議員、同参事会員、名古屋市会議長に選出され、1921年大正10年)には名古屋市長に就任した[5]

市長退任後は再び弁護士を開業し、名岐自動車道株式会社社長、東邦商業学校校長、日本放送協会東海支部監事[5]中京法律学校校長などを務めた。

旧私邸・事務所(2015年12月)

なお、1920年(大正9年)に事務所兼邸宅として建築された建物は、1952年昭和27年)に愛知県の所有となり、2016年平成28年)現在愛知県議員会館として利用されている[6]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『明治弁護士列伝』pp.49-50
  2. ^ 「大喜多寅之助氏」『読売新聞 全国版』1961年2月14日朝刊、11頁。
  3. ^ 中京法律学校編『大喜多寅之助先生遺稿集』中京法律学校、1968年、2頁。 
  4. ^ 中京法律学校編『大喜多寅之助先生遺稿集』中京法律学校、1968年、4頁。 
  5. ^ a b 『帝国大学出身名鑑』
  6. ^ 愛知県議員会館”. 「なごや街なか」こだわり”ナビ”. 2016年5月18日閲覧。

参考文献

  • 東恵仁編『明治弁護士列伝』周弘社、1898年。全国書誌番号:40016713 
  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1932年。全国書誌番号: 47009431 
  • 中京法律学校 編『大喜多寅之助先生遺稿集』中京法律学校、1968年。 

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、大喜多寅之助に関するカテゴリがあります。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大喜多寅之助」の関連用語

大喜多寅之助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大喜多寅之助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大喜多寅之助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS