日本本土爆撃の本格化とは? わかりやすく解説

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日本本土爆撃の本格化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 10:48 UTC 版)

サイパンの戦い」の記事における「日本本土爆撃の本格化」の解説

アメリカ軍6月18日確保したイズリー飛行場を、まだ島内激戦戦われている最中にも関わらず滑走路開いていた600個の弾着穴をわずか24時間埋め立て6月22日には戦闘爆撃機P-47」で編成され第19戦闘機部隊進出させ、同日午後に戦闘支援任務出撃させている。その後に、飛行場長さ・幅を大幅な拡張工事行ってB-29運用可能な飛行場となり、10月13日最初B-29がイズリー飛行場着陸したアメリカタイム誌1944年7月17日号の記事で「太平洋の島づたいの反攻作戦での最大血戦終わり東京へ1,500マイル以内航空基地アメリカ軍の手入った。一番良い事は、この基地への補給海路容易にできることだ」とその意義報道している。 一方で日本側は、絶対自信持っていたサイパン陥落によってB-29による関東及び中部地区への空襲開始される覚悟した。この重要性痛感した永野修身軍令部総長は「サイパン失った時は、まったく万事休すでした。日本文句なし恐るべき事態直面することになりました」と考え防衛総司令官であった皇族東久邇宮稔彦王も「B-29並外れた兵器であり、このような兵器対抗する手段日本にはもうなかった」と考えた窮地陥った大本営は、サイパンからの日本本土空襲開始時期想定開始し参謀本部第2部有末精三中将陸軍航空本部調査班に分析指示調査班は9月から10月にかけて50機~60機のB-29サイパン進出する想定した。さらに調査班は9月23日陥落初めサイパン航空偵察成功しB-29機体自体撮影することができなかったが、イズリー飛行場整備されていることを確認、また10月にはトラックB-29飛来するようになり、B-29マリアナ進出確実視された。さらに日本陸軍は、サイパン偵察攻撃任務とする第2独立飛行隊編成指揮官新海希典少佐)し、硫黄島進出させて訓練を行わせた。第2独立飛行隊サイパンへの攻撃1944年11月2日開始され陸軍航空隊 九七式重爆撃機9機がタ弾装備して出撃したが5機が未帰還11月6日には3機が出撃全機帰還両日ともに爆撃には成功し20機以上のB-29撃破報告しているが、実際に飛行場外に着弾しB-29損害はなかった。 アメリカ軍による日本本土空襲準備着々と進み11月1日B-29偵察型F-13のトウキョウローズ機体番号#42-93852、第73爆撃航空団所属)が東京上空偵察飛行した。11月11日計画している東京中島飛行機武蔵野工場爆撃のための事前偵察任務であったが、高度10,000 m以上で飛行していたので、日本軍迎撃機はF-13を捉えることができなかった。この日はほかにも、のち戦時公債募集キャンペーンにも用いられたヨコハマヨーヨー(#42-24621)など合計3機が、B-29としては初め東京上空飛行した。これらの偵察写真によって空襲目標リスト作成されたが、まずは航空産業壊滅させるため、大小工場1,000以上が目標としてリストアップされた。11月11日B-29による東京初空襲天候問題24日延期となり、111機のB-29それぞれ2.5トン爆弾搭載して出撃した。日本軍陸海軍混成100機以上の迎撃機出撃させたが、B-29は9,150mという超高高度侵入してきたため、日本軍機や高射砲弾多くがその高度までは達さずB-29損失体当たりによる損失1機と故障による不時着水1機の合計2機と少なく東京初空襲緊張していたB-29搭乗員らは予想外に日本軍の反撃低調であったため胸をなでおろしている。この日の被害は、死者55名と武蔵野工場施設軽微な破壊だけであった次いで11月29日には第73航空団所属29機が初め東京市街地へ爆撃敢行ハロルド・M・ハンセン少佐指揮機体番号42-65218機が帰路海上墜落乗員全員戦死したが、この1機の損失のみで作戦遂行した。この爆撃は、今まで爆撃とは異なり工場などの特定の施設目標としない東京工業地帯目標とする市街地への「無差別爆撃」のはしりのような爆撃ではあったが、10,000 mからの高高度爆撃であったことや、悪天候によりレーダー爆撃となったこと、攻撃機数が少なかったことから被害少なかった日本軍第2独立飛行隊は、東京初空襲を受けた3日後の11月27日報復攻撃として、陸海軍共同サイパン飛行場攻撃している。陸軍航空隊新海希典少佐率い第二独立飛行隊四式重爆撃機2機がイズリー飛行場アスリートよりアメリカ軍改名)を爆撃し完全撃破4機と16機が損傷させ2機とも生還した続いて海軍航空隊大村謙次中尉率い第一御盾隊の零戦12機が、イズリー飛行場機銃掃射B-29を5機撃破し、また迎撃してきたP-47の1機を撃墜した全機帰還となった新海少佐第二独立飛行隊12月7日夜間攻撃でもB-29を4機を撃破23機を損傷させている。最後の攻撃となったのは1944年クリスマスで、まず錫箔貼っ模造紙電探紙、今で言うチャフ)を散布しレーダー欺瞞させた後に高低同時進入という巧妙な攻撃サイパン島テニアン島攻撃しB-29を4機撃破11機に損傷与えている。日本軍マリアナ諸島航空基地攻撃により、B-2919機完全撃破もしくは大破35機が損傷しアメリカ軍死傷者245となったその後サイパンから日本本土へ空襲続いたが、第21爆撃集団司令官ヘイウッド・ハンセル准将アメリカ陸軍航空隊伝統的ドクトリンである高高度昼間精密爆撃拘り損害見合う戦果挙げられていなかったため、アーノルドハンセル更迭し、信頼していたカーチス・ルメイ准将後任とした。アーノルドルメイを「やってみろ。B-29結果出せ結果が出なかったら、君はクビだ」「結果が出なかったら最終的に大規模な日本上陸侵攻になり、さらに50万人アメリカ人の命が犠牲になるかも知れんのだ」と激し言葉叱咤し、アーノルド叱咤されたルメイ大胆な作戦方針の変更を行うこととした。今までは、アメリカ陸軍航空隊伝統的ドクトリンに基づく、対ドイツの戦略爆撃ならった高高度昼間精密爆撃固執し、高度8500mから9500mの昼間爆撃行っていたが、偵察写真確認したルメイは、ドイツ本土爆撃悩まされ高射機関砲日本では殆ど設置されていないことに気が付いた。そこでルメイ爆撃高度を思い切って高度1500m3000mの低高度に下げることにした。爆撃高度を下げれば、ジェット気流影響受けないこと、エンジン負荷軽減燃料節約し多く爆弾積めること、爆撃正確に命中すること、あと高高度爆撃では好天を待たなければならなかったが、爆撃高度を下げればの下を飛行すればよく、出撃日を増加できること大きかった。そして高射機関砲少な日本では爆撃高度を下げて損失率は上がらない見積もった使用する爆弾は、1943年3月ダグウェイ実験場(ユタ州)で日本式家屋立ち並ぶ市街地建設し、そこで焼夷弾燃焼実験を行うといった大規模な演習まで行って開発したM69焼夷弾とした。M69焼夷弾ナパーム(ゲル化ガソリン)で炎上した日本式家屋容易に消火できず、日本最適焼夷弾認定された。しかし低空では敵迎撃機対空砲危険性があるので夜間爆撃とし、爆弾搭載今まで作戦における搭載量の2倍以上の6トンとして、編隊防御重視コンバット・ボックスではなくイギリス軍ドイツ本土へ夜間爆撃多用した編隊先頭練度の高いパスファインダー爆撃により引き起こされ火災目印として1機ずつ投弾するというトレイル単縦陣)に変更した。この戦法であれば一定の目標精密爆撃するのではなく地域全体焼夷弾投下することになるので、未熟な搭乗員による爆撃でも十分な効果期待できた。 ルメイの新戦術最初作戦3月10日東京大空襲となり、一晩で約10万人が死亡した。この絶大な効果自信持ったルメイは、沖縄戦支援での戦術爆撃任務終えたのち、5月14日名古屋空襲皮切りにB-29大規模焼夷弾攻撃任務復帰させた。補給強化されて、6月までには常に400機のB-29全力出撃できる十分な量のM69焼夷弾航空燃料準備され稼働機も常に400機以上が揃っていた。5月14日昼間529機、5月16日夜間522機が名古屋市街地と三菱発動機工場中低空で焼夷弾攻撃したが、高高度精密爆撃では大きな損害与えられなかった名古屋市街と工場甚大な損害与えて、完全に破壊してしまった。焼夷弾焼失した建物なかには名古屋城含まれていた。その後全国大都市破壊しつくしたルメイは、目標人口10万人から20万人中小都市58対す焼夷弾攻撃を行うこととした。この作戦6月17日開始されて、鹿児島大牟田浜松四日市豊橋福岡静岡富山などが目標となり終戦まで続けられた。日本軍には跳梁するB-29対抗する手段はなく、香淳皇后が、疎開していた皇太子継宮明仁親王)に「こちらは毎日B29艦上爆撃機 戦闘機などが縦横むじんに大きな音をたてて 朝から晩まで飛びまはつてゐます B29残念ながらりつぱです」という手紙送ったほどであった日本本土空襲のためにマリアナ攻略進言したアメリカ陸軍航空軍司令官アーノルドは、戦後陸軍長官への報告書マリアナ攻略その後日本本土空襲意義を以下のようにまとめている。 日本崩壊は、太平洋戦争攻勢段階における戦略的コンセプト全体正しかったことを立証しました。全般的に見て単純に見ても、この戦略は、陸上及び航空母艦基地とする航空兵力の両方を、日本そのものに対して破壊的航空攻撃フル加えることのできる地点まで前進させることでした。この戦略には、そのような攻撃上陸作戦なしに日本敗北もたらす可能性があり、さらに、上陸作戦への準備協力重大な役割を果たすだろうという確実性ありました

※この「日本本土爆撃の本格化」の解説は、「サイパンの戦い」の解説の一部です。
「日本本土爆撃の本格化」を含む「サイパンの戦い」の記事については、「サイパンの戦い」の概要を参照ください。

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