ドイツの戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:26 UTC 版)
「バトル・オブ・ブリテン」の記事における「ドイツの戦略」の解説
左からヘルマン・ゲーリング、アルベルト・ケッセルリンク、フーゴ・シュペルレである。 ドイツ空軍はヨーロッパ大陸での作戦を念頭に置き、地続きの戦場において味方陸軍部隊への近接支援と敵の補給遮断を行うという陸空直協を前提に航空艦隊 (Luftflotte) を基本にして編制され、空軍単独での渡洋攻撃を想定していなかった。 この方針は空軍の研究開発に多大なる影響を与えた。主力戦闘機メッサーシュミット Bf 109は航続距離が短く、イギリス南東部までしか爆撃機を護衛できなかった。Bf 109よりも航続距離の長い双発戦闘機メッサーシュミット Bf 110は重武装ではあったがエンジンが2基ある分重いため、軽快な単発単座戦闘機と敵対した際の空戦能力で劣り、Bf 110もまた護衛任務に限界があった。 フランスを屈服させた後、ドイツ空軍の司令官ヘルマン・ゲーリングは2個航空艦隊を西方に移駐させた。アルベルト・ケッセルリンク率いる第2航空艦隊は、ネーデルラント(司令部:ブリュッセル)へ展開した。フーゴ・シュペルレ指揮する第3航空艦隊は、フランス西部(司令部:パリ)へ展開した。この2個航空艦隊は双発爆撃機1200機、急降下爆撃機280機、単発戦闘機760機、双発戦闘機220機の航空兵力を有した。爆撃機の内訳は、ドルニエ Do 17、ドルニエ Do 215、ハインケル He111、そしてユンカース Ju 87であった。この他にノルウェーの第5航空艦隊(司令部:クリスティアンサン)も限定的な支援を行い、その航空兵力は爆撃機130機、双発戦闘機30機だった。 ヒトラーは、ポーランドと北欧で見せつけたドイツ軍の強さを外交材料にイギリスの降伏を望み、戦わずして屈服できると期待していた。そのため、イギリス本土上陸作戦を実施する必要性に懐疑的であった。また、西方電撃戦の成功により大した被害を受けることなくフランスを屈服させることができたため、ヒトラーを含めドイツ首脳部はイギリス本土上陸作戦の計画を速めなければならず、北欧侵攻でドイツ海軍の艦艇が大きな被害を受けたため慎重に検討された。イギリス海軍は第一次世界大戦から第二次世界大戦に至るまで精強な艦隊を維持しており、ドーバー海峡とイギリス海峡にドイツ海軍の艦艇を派遣することは困難であり、ライン河などの内陸河川用運搬船を上陸用舟艇に転用して、また空軍輸送機で地上部隊を輸送させなければならなかった。
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