フーゴ・シュペルレとは? わかりやすく解説

フーゴ・シュペルレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 13:42 UTC 版)

フーゴ・シュペルレ
生誕 ルートヴィヒスブルク
死没 西ドイツバイエルン州
ミュンヘン
軍歴 1903年-1945年
最終階級 元帥
指揮 コンドル軍団
第2航空管区司令官
第5航空管区司令官
勲章 騎士鉄十字章
ホーエンツォレルン家勲章
Spanish Cross
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フーゴ・シュペルレHugo Sperrle1885年2月7日 - 1953年4月2日)は、ドイツ陸軍軍人空軍軍人。最終階級は空軍元帥

生い立ち

シュペルレは、1885年2月2日にルートヴィヒスブルク(Ludwigsburg)で生まれる。1903年、士官候補生として第8ヴュルテンブルク歩兵連隊に入隊し、翌年には少尉に任官した。 第一次世界大戦が勃発する前年の1913年に中尉に昇進した。

第一次世界大戦

第一次世界大戦が勃発した1914年末に大尉へ進級した。 この年シュペルレは、砲撃弾着観測将校の訓練を受け、偵察将校として第4野戦飛行分遣隊に配属される。その後、操縦訓練を受け、第42野戦飛行分遣隊、第13野戦飛行団の指揮官を歴任した後、航空観測学校の校長に転じ、大戦終結時には、西部戦線の第7軍に配属された全ての航空部隊の指揮官となっている。

ヴァイマル共和国から第二次世界大戦開戦まで

第一次世界大戦後は、ヴェルサイユ条約で兵力10万人に制限されたヴァイマル共和国の陸軍(Reichsheer)に選び残された。

航空将校から歩兵将校に戻ったシュペルレは、1919年から1923年に掛け第5軍管区の幕僚を務めた後、翌1924年まで国防省で勤務した。その後、1924年までドレスデンの第4歩兵師団に配属された。 1925年国防省に幕僚として戻り、1928年には、ソ連のリペツクにあるドイツの秘密基地に送られ、高等操縦訓練を受けた。1929年まで国防省の幕僚勤務した後、第14歩兵連隊第III大隊長に転じ、1926年少佐1931年中佐へ進級した。

1934年4月1日、当時まだ秘密の存在であったドイツ空軍ドイツ航空省)に大佐として入営し、第1飛行師団長に補された。また兼任で陸軍飛行隊司令官も務めた。

1935年3月16日、アドルフ・ヒトラーは、ヴェルサイユ条約の軍事制限条項を破棄、再軍備宣言をし、ドイツ空軍の存在を世界に公表した。これに伴い、正式に陸軍から空軍へ移籍され、第2航空管区司令官となりる。同年10月には少将へ進級し、ミュンヘンの第V航空管区司令官に転任した。

1936年7月スペイン内戦が勃発すると、フランシスコ・フランコ将軍率いる国民戦線軍を支援するため組織された、コンドル軍団の初代司令官としてスペイン内戦に従軍した。

第二次世界大戦

ニュルンベルク裁判の被告席に座るシュペルレ。

第二次世界大戦が勃発した1939年9月には、西部国境地帯で第3航空艦隊の司令官としてドイツ南西部の防空に、翌1940年フランス他、西方諸国をめぐる戦いでも同航空艦隊を指揮し、その功によりフランス降伏後の7月19日、ベルリンオペラハウスエアハルト・ミルヒアルベルト・ケッセルリンクと共に空軍元帥に任じられた。

その後開始されたバトル・オブ・ブリテンでも同航空艦隊司令官として主導的役割を果たしたが、作戦は失敗に終わった。作戦後も同航空艦隊の司令官に留任したが、1944年6月のノルマンディー上陸作戦におけるドイツ空軍の敗退の責任を問われ、8月19日に司令官を解任される。

1945年5月1日、イギリス軍に逮捕され、ニュルンベルク継続裁判の1つ国防軍最高司令部裁判の被告にされたが、1948年10月27日、無罪の判決を受けた。1953年ミュンヘンで死去。

参考文献

  • カルロス・カバリェロ・フラド『コンドル軍団 スペイン内戦に介入したドイツ人部隊』柄澤英一郎(訳)、大日本絵画、2007年、ISBN 978-4-499-22937-1
  • サミュエル・W・ミッチャム『ヒトラーと鉄十字の鷲 WWIIドイツ空軍戦記』手島尚(訳)、学習研究社、2008年、ISBN 978-4-05-901219-1




固有名詞の分類

第一次世界大戦期ドイツの軍人 マックス・ホフマン  エルンスト・ハインリヒ・フォン・ザクセン  フーゴ・シュペルレ  アルベルト・ケッセルリンク  ヘルマン・クリーベル
騎士鉄十字章受章者 フェルディナント・シェルナー  ゲオルク・ランゲンドルフ  フーゴ・シュペルレ  アルベルト・ケッセルリンク  ヴァルター・エーザウ
ドイツ帝国の軍人 マックス・ホフマン  ゲオルク・フォン・バイエルン  フーゴ・シュペルレ  アルベルト・ケッセルリンク  フェルディナント・フォン・ツェッペリン
ヴァイマル共和国の軍人 フリードリヒ・フェルチュ  フェルディナント・シェルナー  フーゴ・シュペルレ  アルベルト・ケッセルリンク  ヘニング・フォン・トレスコウ
ドイツ第三帝国の元帥 カール・デーニッツ  フェルディナント・シェルナー  フーゴ・シュペルレ  アルベルト・ケッセルリンク  ローベルト・フォン・グライム

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