戦時の開発とは? わかりやすく解説

戦時の開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 09:25 UTC 版)

JB-2 (ミサイル)」の記事における「戦時の開発」の解説

アメリカ合衆国は、1944年8月22日段階で、ナチス・ドイツ新規に開発した秘密兵器について認知していた。これは、デンマーク海軍警備隊が、ドイツスウェーデンの間に位置するバルト海洋上ボーンホルム島において、破壊されV-1飛行爆弾初期試作型発見したことによるV-1試作型であるV-83の1枚写真詳細なスケッチイギリスへ送付された。このヒントから、一カ月に渡る情報収集内容吟味経て、最高機密であるドイツミサイル試験開発計画基地としてバルト海沿岸ドイツペーネミュンデ割り出された。 それまで情報航空写真ドイツ内部ソースから得られていたにすぎなかったが、アメリカ合衆国1943年時点ジェット推進による爆弾開発決定していた。1944年7月アメリカ陸軍航空隊は、ノースロップ社に対しプロジェクトMX-543において、JB-1という(“JB-1”とは「Jet Bomb 1」の頭文字である)ターボジェット推進飛行爆弾開発する旨の契約結んだノースロップ社は全翼式の航空機中央部に、2基のジェネラル・エレクトリックB1ターボジェット搭載するという設計案提出した爆装は翼付け根設けられた翼内爆弾倉に、900kg爆弾2発を搭載するのである設計空気力学的な試験が行われ、1機のJB-1が有人グライダーとして開発完了した初飛行1944年8月である。 しかしながら1944年6月12日13日には、イングランドV-1飛行爆弾第一波攻撃した。3週間後の1944年7月、ライトフィールドのアメリカ人技術者たちは、ドイツアルグスAs014パルスジェットエンジン可動コピー点火した。これは破壊されV-1を、分析のためにイギリスからアメリカ輸送して技術復元行ったのである。この技術復元からは、アメリカにおいて最初に量産され誘導ミサイルJB-2」が手に入ることとなった9月8日最初JB-213基が完成した復元にあたり材料リパブリック社から供給され、ライトフィールドでは7月にこれを受領したアメリカ合衆国JB-2ドイツV-1とごく小さな点で相違があった。翼幅はわずか2インチほど広げられ翼弦は2フィート未満延長された。この相違から、V-1翼面積55平方フィートであるのに対しJB-2は60.7平方フィート翼面積となった1944年10月JB-2最初の発射にはフロリダ州のイーグリン陸軍飛行場選定された。イーグリンの一団加えてオハイオ州所在するライトフィールドからは特殊兵器支部分遣され1944年ユタ州のウェンドオーバー基地移動した。これは鹵獲ロケット兵器や、JB-2を含む実験的なロケットシステム評価する任務担当した発射試験はウェンドオーバーの技術基地南側設けられ発射台ら行われた。発射エリアグーグルアースから閲覧できる。このとき破壊されV-1とJB-2破片は、ときどきウェンドオーバー空港勤務員によって発見される1944年12月ノースロップJB-1の最初機体発射準備完了した。このミサイルロケット推進ソリによって長さ150m発射レール上を打ち出されたが、発進から数秒後に、JB-1は急上昇し失速入って墜落した。これは離陸際し計算誤って設定した昇降舵原因だった。しかし、JB-1の計画は、主としてジェネラル・エレクトリックB1ターボジェットエンジン性能信頼性予想よりも低かったことを原因中止された。さらに、フォードJB-2用い予定のアルグス・パルスジェットエンジンを開発するための費用は、ジェネラル・エレクトリックターボジェットエンジンよりもはるかに少なく済んだこの後JB-2最終的な開発量産のために作業続行された。 初回生産発注数は1,000基であり、その後にも1カ月に1,000基が生産されることとされた。しかしながらこの生産数1945年4月まで達成期待できなかった。リパブリック社は、自社が持つ生産ラインではP-47サンダーボルト戦闘機製造しており、機体フレーム製造をウィリス・オーバーランド社に下請け契約したフォード社ではエンジン製作した呼称はIJ-15-1である。これは900ポンド推力を持つ、V-1のアルグス・シュミット パルスジェットエンジンコピーだった。誘導装置自動操縦装置は、オハイオ州クリーブランド所在しジャック&ハインツ社によって生産された。またモンサント社は、ノースロップ社から発射そりを供給され、より改善され発射システム開発設計担当した生産と配備1945年1月から開始された。 想定では、JB-275,000基の生産計画された。アメリカ陸軍航空隊では、ドイツ日本に対してこの兵器投入するべく発射中隊編成した。しかし1945年5月ヨーロッパでの戦争終結しJB-2生産数縮小したが、配備計画終結には至らなかった。 ヨーロッパ陸軍司令官たちには、ドイツ軍対抗して排除する兵器として戦略爆撃概念がそれを満たしており、かつ、1945年までにはドイツの戦略目標の数は限定的なものとなっていた。 しかしJB-2は、ダウンフォール作戦、特に日本本土侵攻する計画において予期された高い死傷者数という観点から、日本攻撃する兵器として想定された。地上軍上陸する前に180日に渡る強力な爆撃日本本土加えられる予定であり、これは「本戦争で、最も強力で継続された、侵入先立つ爆撃」だった。攻撃には海軍通常行われる艦砲射撃と、ロケット発射する航空機空襲、それにドイツ使用したV-1飛行爆弾アメリカ版含まれていた。 海軍運用したJB-2は「KGW-1」と呼称された。これは護衛空母CVE)と同じく海軍戦車揚陸艦LSTLanding Ship, Tank)から日本軍に対して投入される計画だった。さらにPB4Y-2プライバティア哨戒機からの発射想定され空中発射技術開発された。公式には、アメリカ空軍行動表では、戦争終結直前に、太平洋へ向かう途中航空母艦が、日本本土侵攻計画で、起こりうる使用のために、大量JB-2受領した記載しているが、その空母の名称が明らかにされたことはない。またイーグリン基地のある歴史資料では、フィリピンの某陸軍航空隊部門は、日本に対してJB-2発射する準備をしていたが、核兵器による爆撃はその任務には含まれていなかった。 1945年8月日本対す核兵器使用ダウンフォール作戦中止へと至らせ、JB-2配備9月15日終了した合計1,391基が製造された。

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