発射準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 21:05 UTC 版)
月着陸船LM-5の上昇段は1969年1月8日にケネディ宇宙センターに到着し、その4日後には下降段が、1月23日には司令・機械船CM-107がそれぞれ到着した。LM-5とアポロ10号のLM-4との間にはいくつかの違いがあった。LM-5には月面で船外活動中に宇宙飛行士との通信を円滑に行うためのVHF無線アンテナ、軽量化された上昇用エンジン、熱防護が強化された着陸装置、初期アポロ科学実験パッケージ(英語版)(Early Apollo Scientific Experiments Package、EASEP)として知られる科学実験装置一式が備えられていた。司令船の構成で唯一変更されたのは、前面ハッチからいくつか断熱材が取り除かれた点であった。司令船と機械船は1月29日に連結され、4月14日にO&Cビルディングからロケット組立棟に移された。 サターンV AS-506の第三段S-IVBは1月18日に到着し、続いて第二段S-IIが2月6日に、第一段S-ICが2月20日に、サターンV飛行制御装置(英語版)が2月27日に到着した。まだアポロ10号が月へ向かっている最中であった5月20日の1230(12時30分)、組み上がった重さ5,443-メトリックトン (5,357-ロングトン; 6,000-ショートトン)のサターンV型ロケットがクローラー・トランスポーターの上に載せられ、第39発射場の39A発射台に向けてロケット組立棟を出発した。カウントダウンのテストは6月26日に開始され、7月2日に終了した。7月15日の夜、発射施設が投光照明に照らされ、クローラー・トランスポーターが移動式整備塔(英語版)を駐機場まで運んで戻した。発射当日の早朝には、第二段S-IIと第三段S-IVBの各燃料タンクが液体水素で満たされた。燃料の注入は発射の3時間前までに完了した。発射運用はATOLLと呼ばれるプログラミング言語で書かれた43のプログラムで一部が自動化されていた。 搭乗員は0400(4時00分)すぎにスレイトンに起こされ、シャワーを浴び、髭を剃り、スレイトンおよび予備搭乗員と一緒にNASAの宇宙飛行前の伝統的な朝食となっているステーキと卵料理(英語版)を食べた。そして、宇宙服を着用し、純酸素の呼吸を始めた。0630(6時30分)に搭乗員は第39発射施設に向かった。発射時刻の約3時間10分前にヘイズは「コロンビア」の船内に入り、6時54分に技術者とともにアームストロングが左の乗組員用の寝椅子につくのを手助けした。5分後にコリンズが加わり、自分の所定の位置である右の乗組員用の寝椅子についた。最後にオルドリンが乗船し、中央の寝椅子についた。ヘイズは発射の約2時間10分前に宇宙船から降りた。飛行士の搭乗を手伝ったクルー(クローズアウトクルー)がハッチを密閉すると、船室はパージ(圧縮空気を排気)され、与圧された。クローズアウトクルーは発射の約1時間前に発射施設を離れた。発射の3分20秒前からはカウントダウンが自動化された。450人以上の人員が発射管制室内の制御盤の前に陣取っていた。
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