ドイツの政教分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 00:01 UTC 版)
ドイツでは宗教改革による対立を経てアウクスブルクの和議において、ルター派はカトリックと同等の権利を持ったが、同時に領邦教会制が成立した。領邦教会制では"cuius regio, eius religio”「一つの領邦に属する者のすべてが一つの領邦教会に属する」とされた。領邦教会司教が領邦君主であることもあり、世俗権力と宗教権力は密接な関係にある一方、カトリック教会も中世以来の世俗権力を有しており、トリアー、ケルン、マインツ大司は神聖ローマ帝国選帝侯でもあった。 1918年にドイツ帝国が崩壊しヴァイマル共和政となり、ヴァイマル憲法137条では「国の教会(Stasstskirche)は存在しない」と規定され、宗教団体設立の自由と宗教の自由も保障された。しかし、教会は引き続き公法上の社団とされ、教会税徴収権も有し(137条)、公立学校で宗教は正規科目とされる(149条)など、ヴァイマル憲法においていわゆる「政教分離」制度が採用されたわけではない。 ヴァイマル憲法の規定は1949年のドイツ基本法140条でも取り込まれ、ドイツ基本法4条では個人の信教の自由を保障する。しかし現在でも、宗教団体は「公法上の社団」の地位を与え、教会税の徴収も認められている。そのため、H.P.マルチュケは「ドイツ連邦共和国では国家と教会(カトリック教会と福音主義教会)の分離の原則が行われているが、それは宗教的に無色の国家が教会の公共活動に無関心な態度をとるというのではなく、国家が特定の教会と一体化して他の教会ないし宗教団体を排除することなしに教会の活動を支援することを許容するものである」と解説する。また宗教に関わる事項は、各ラントの権限に属し、連邦は権限を持たない。また、公立学校における宗教の授業は、憲法上の正規科目とされている(基本法第七条三項)。他面において、国家は、教会内の立法・裁判などに介入できない。 ドイツにおける国家と教会の関係は、カトリックとの関係では連邦と教皇庁の政教条約によって規律されている。なお、1933年にカトリック教会とナチス・ドイツとが締結したライヒスコンコルダートも現在も連邦では効力を有している。また、国家とドイツ福音主義教会(EKD)との関係では教会協定(教会条約)によって規律されており、教会条約は1955年のニーダーザクセン州のロックム条約以降ほとんどのラントで類似条約が締結されている。
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