ドイツの戦争犯罪観
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「ドイツの歴史認識」の記事における「ドイツの戦争犯罪観」の解説
第二次世界大戦での敗戦によってドイツ国はナチス政権の崩壊にとどまらず、ベルリン宣言の発表によって国家消滅にまで至った。旧ドイツ国の領域はアメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦に分割占領され、1949年にソ連占領地区が社会主義国家としてのドイツ民主共和国 (DDR) に、それ以外が自由主義・資本主義国家としてのドイツ連邦共和国 (BRD) としてそれぞれ独立国家を創設し、その後1990年までの41年間にわたって東西分裂の時代があった。 DDRでは元ナチス関係者の公職追放(非ナチ化)がBRDより徹底的に行われたが、戦争被害やユダヤ人迫害についてDDR政府は「ドイツ民主共和国とドイツ国は全く別の国家である(ドイツ民主共和国はドイツ国の後継国家ではない)」「資本主義体制の矛盾の現れ」として自国とは無関係とする立場を取った。 BRDでは当初は占領軍の手でナチスの追及が行われたが、占領期の後期にドイツ人の手に委ねられた結果「非ナチ化はいまや、関係した多くの者をできるだけ早く名誉回復させ、復職させるためだけのものとなった」と評価される事態となった。このため「非ナチ証明書」はナチス時代の汚点を拭う事実上の「免罪符」となった。それは罪を洗い流す証明書だということで、洗剤のブランド名をとって「ペルジール証明書」と皮肉られた。 そしてBRD建国後、わずか1年あまりの1950年にはアデナウアー政権の元で「非ナチ化終了宣言」が行われた。その結果、占領軍の手で公職追放されていた元ナチ関係者15万人のうち99%以上が復帰している。1951年に発足したBRD外務省では公務員の3分の2が元ナチス党員で占められていた。 更に再軍備に伴い国防軍による戦争犯罪とナチスのユダヤ人迫害は故意に切り離され、「戦争犯罪とは無縁のクリーンな国防軍」という「国防軍神話」の成立により略奪や虐殺といった戦争犯罪の追及はおざなりとなっていった。 これは1952年12月3日にコンラート・アデナウアー首相の行った軍の名誉回復演説 私は本日、本会議場において連邦政府の名において宣言したいと思います。われわれは皆、気高き軍人の伝統の名において、陸・海・空で名誉ある戦いを繰り広げたわが民族のすべての兵士の功績を承認します。われわれは近年のあらゆる誹謗中傷にもかかわらず、ドイツの軍人の名声と偉大な功績がいまなおわが民族のもとで命脈を保ち、今後も生き続けることを確信します。 に象徴されており、これが現在に至るまでBRDにおける保守派の国防軍認識の基礎となった。 その一方で、ナチスによるユダヤ人迫害については特別視し、謝罪を繰り返している。
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