ドイツの戦争犯罪観とは? わかりやすく解説

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ドイツの戦争犯罪観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 13:59 UTC 版)

ドイツの歴史認識」の記事における「ドイツの戦争犯罪観」の解説

第二次世界大戦での敗戦によってドイツ国ナチス政権崩壊とどまらずベルリン宣言発表によって国家消滅にまで至った。旧ドイツ国領域アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦分割占領され1949年ソ連占領地区社会主義国家としてのドイツ民主共和国 (DDR) に、それ以外自由主義資本主義国としてのドイツ連邦共和国 (BRD) としてそれぞれ独立国家創設しその後1990年までの41年間にわたって東西分裂時代があった。 DDRでは元ナチス関係者公職追放非ナチ化)がBRDより徹底的に行われたが、戦争被害ユダヤ人迫害についてDDR政府は「ドイツ民主共和国ドイツ国は全く別の国家である(ドイツ民主共和国ドイツ国後継国家ではない)」「資本主義体制矛盾現れ」として自国とは無関係とする立場取ったBRDでは当初占領軍の手ナチス追及が行われたが、占領期後期ドイツ人の手委ねられ結果非ナチ化はいまや、関係した多くの者をできるだけ早く名誉回復させ、復職させるためだけのものとなった」と評価される事態となったこのため「非ナチ証明書」はナチス時代汚点拭う事実上の「免罪符となった。それは罪を洗い流す証明書ということで、洗剤ブランド名をとって「ペルジール証明書」と皮肉られた。 そしてBRD建国後、わずか1年あまりの1950年にはアデナウアー政権の元で「非ナチ化終了宣言が行われた。その結果占領軍の手公職追放されていた元ナチ関係者15万人のうち99%以上が復帰している。1951年発足したBRD外務省では公務員3分の2が元ナチス党員で占められていた。 更に再軍備に伴い国防軍による戦争犯罪ナチスユダヤ人迫害故意切り離され、「戦争犯罪とは無縁クリーンな国防軍」という「国防軍神話」の成立により略奪虐殺といった戦争犯罪の追及おざなりとなっていった。 これは1952年12月3日コンラート・アデナウアー首相行った軍の名誉回復演説 私は本日本会議場において連邦政府の名において宣言したいと思います。われわれは皆、気高軍人伝統の名において、陸・海・空名誉ある戦い繰り広げたわが民族すべての兵士功績承認します。われわれは近年あらゆる誹謗中傷にもかかわらずドイツ軍人名声偉大な功績いまなおわが民族のもとで命脈保ち今後生き続けることを確信します。 に象徴されており、これが現在に至るまでBRDにおける保守派国防軍認識基礎となった。 その一方でナチスによるユダヤ人迫害については特別視し、謝罪繰り返している。

※この「ドイツの戦争犯罪観」の解説は、「ドイツの歴史認識」の解説の一部です。
「ドイツの戦争犯罪観」を含む「ドイツの歴史認識」の記事については、「ドイツの歴史認識」の概要を参照ください。

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