1944年11月-1945年2月 横須賀防備戦隊とは? わかりやすく解説

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1944年11月-1945年2月 横須賀防備戦隊(父島方面護衛)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 13:41 UTC 版)

第六号海防艦」の記事における「1944年11月-1945年2月 横須賀防備戦隊(父島方面護衛)」の解説

1944年11月1日役務横須賀鎮守府警備海防艦定められ横須賀防備戦隊編入同日第一海上護衛隊作戦指揮下に編入4日対潜掃蕩のため高雄出撃6日御蔵護衛するタモ28船団(8隻)に合同し内地へ向かう。12日福岡湾船団から分離し横須賀回航13日第一海上護衛隊作戦指揮解かれ横須賀防備戦隊復帰軍隊区分海上護衛部隊横須賀鎮守府海上護衛部隊甲直接護衛部隊に配置15日これまでの潜水艦4隻撃沈の功により、海上護衛司令長官から個艦感状授与され上聞達する。以後本艦乗員は、同じく潜水艦4隻撃沈の功を挙げた第4号海防艦乗員とともに、他艦艇教練の際に指導を受け持つことが多くなる16日から横須賀海軍工廠訓令による工事を行う。 横須賀海軍工廠修理中の12月5日、第51号駆潜艇と第52号駆潜艇船団護衛中に八丈島沖で衝突し両艇とも航行不能となったため、本艦救難のため工事取りやめて6日出撃したが、横須賀出港1時間足らずで出撃中止となり横浜回航12日、3209船団(4隻)を護衛して父島へ向け館山発。16日父島着。17日復航4217船団(3隻)を護衛して横浜へ向け父島発。21日横須賀帰着24日、3223船団護衛して父島へ向け館山発。27日父島着。28日復航4228船団護衛して横浜へ向け父島発。1945年1月1日横須賀帰着1945年1月8日、3107船団父島向け2隻、母島向け1隻)を護衛して館山発。11日父島着。12日復航4112船団(3隻)を護衛して父島発。17日館山帰着19日から27日まで、横須賀海軍工廠修理を行う。31日対潜掃蕩のため父島へ向け館山出撃2月5日、4205船団護衛して父島発。10日横須賀帰着以後2月28日までの行動不明

※この「1944年11月-1945年2月 横須賀防備戦隊(父島方面護衛)」の解説は、「第六号海防艦」の解説の一部です。
「1944年11月-1945年2月 横須賀防備戦隊(父島方面護衛)」を含む「第六号海防艦」の記事については、「第六号海防艦」の概要を参照ください。

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