1944年11月-1945年2月 横須賀防備戦隊(父島方面護衛)
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「第六号海防艦」の記事における「1944年11月-1945年2月 横須賀防備戦隊(父島方面護衛)」の解説
1944年11月1日、役務を横須賀鎮守府警備海防艦に定められ、横須賀防備戦隊に編入。同日、第一海上護衛隊作戦指揮下に編入。4日、対潜掃蕩のため高雄を出撃。6日、御蔵が護衛するタモ28船団(8隻)に合同して内地へ向かう。12日、福岡湾で船団から分離し横須賀へ回航。13日、第一海上護衛隊作戦指揮を解かれ、横須賀防備戦隊に復帰。軍隊区分海上護衛総部隊横須賀鎮守府海上護衛部隊甲直接護衛部隊に配置。15日、これまでの潜水艦4隻撃沈の功により、海上護衛司令長官から個艦感状を授与され、上聞に達する。以後本艦の乗員は、同じく潜水艦4隻撃沈の功を挙げた第4号海防艦の乗員とともに、他艦艇の教練の際に指導を受け持つことが多くなる。16日から横須賀海軍工廠で訓令による工事を行う。 横須賀海軍工廠で修理中の12月5日、第51号駆潜艇と第52号駆潜艇が船団護衛中に八丈島沖で衝突し両艇とも航行不能となったため、本艦は救難のため工事を取りやめて6日に出撃したが、横須賀出港後1時間足らずで出撃中止となり横浜へ回航。12日、3209船団(4隻)を護衛して父島へ向け館山発。16日、父島着。17日、復航4217船団(3隻)を護衛して横浜へ向け父島発。21日、横須賀に帰着。24日、3223船団を護衛して父島へ向け館山発。27日、父島着。28日、復航4228船団を護衛して横浜へ向け父島発。1945年1月1日、横須賀に帰着。 1945年1月8日、3107船団(父島向け2隻、母島向け1隻)を護衛して館山発。11日、父島着。12日、復航4112船団(3隻)を護衛して父島発。17日館山に帰着。19日から27日まで、横須賀海軍工廠で修理を行う。31日、対潜掃蕩のため父島へ向け館山を出撃。 2月5日、4205船団を護衛して父島発。10日、横須賀に帰着。以後、2月28日までの行動は不明。
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