1944年12月-1945年3月 八丈島方面護衛
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「第四号海防艦」の記事における「1944年12月-1945年3月 八丈島方面護衛」の解説
横須賀海軍工廠で修理中の1944年12月5日、第51号駆潜艇と第52号駆潜艇が船団護衛中に八丈島沖で衝突し両艇とも航行不能となったため、本艦は救難のため修理を取りやめて6日に出撃。7日、両艇と会合し洞輪沢に一旦退避。8日、第51号駆潜艇を曳航して横須賀へ向け洞輪沢を出港し、同日横須賀着。横須賀海軍工廠での修理を再開。16日、館山へ回航。17日、3217船団(3隻)を護衛して父島へ向け館山発。本艦は途中で引き返し、21日横須賀に帰着。 1945年1月1日、陸軍輸送船愛徳丸(大阪商船、1,332トン)、昭東丸(西日本汽船、572トン)、1E型戦時標準貨物船第6雲洋丸(中村汽船、830トン)からなる第3231船団を第56号海防艦、特設駆潜艇第2拓南丸(日本海洋漁業、343トン)と共に護衛して父島へ向け館山発。4日父島に到着し、同日復航4104船団を護衛して父島発。5日、航海中に昭東丸が潜水艦からの雷撃を受け、ゆっくりと沈没していった。8日、館山に帰着。横須賀回航後は20日まで横須賀で整備。 1月23日、3122船団(3隻)を護衛して父島へ向け館山発。27日、父島着。28日、復航4127船団(2隻)を護衛して父島発。2月2日、館山に帰着。 2月9日、3208船団を護衛して父島へ向け館山発。12日父島に到着し、同日復航4212船団を護衛して父島発。15日から16日にかけて空襲を受け、船団は湊沖で仮泊。18日、横須賀に帰着。 3月1日現在、軍隊区分直率部隊に配置。5日、横須賀防備戦隊旗艦に定められ、軍隊区分東京湾北航路部隊に配置。同日、本艦は第74号海防艦とともに、さばん丸(三菱汽船、10,241トン)護衛のため横須賀を出撃。御前崎西方で第三海上護衛隊にさばん丸の護衛を引き継ぎ、横須賀に帰投。6日、竜神丸を護衛して八丈島へ向け横須賀発。7日、八丈島着。10日、引き続き竜神丸を護衛して八丈島発。11日、横須賀に帰着。27日、第1南陽丸(所属不明、451トン)単独からなる第3327船団を護衛して八丈島へ向け横須賀発。29日、八丈島着。30日、復航4330船団を護衛して八丈島を出港し、同日館山に帰着。4月8日まで横須賀で整備を行う。
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