1944年12月-1945年3月 八丈島方面護衛とは? わかりやすく解説

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1944年12月-1945年3月 八丈島方面護衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 17:25 UTC 版)

第四号海防艦」の記事における「1944年12月-1945年3月 八丈島方面護衛」の解説

横須賀海軍工廠修理中の1944年12月5日、第51号駆潜艇と第52号駆潜艇船団護衛中に八丈島沖で衝突し両艇とも航行不能となったため、本艦救難のため修理取りやめて6日出撃7日、両艇と会合し洞輪沢に一旦退避8日、第51号駆潜艇曳航して横須賀へ向け洞輪沢を出港し同日横須賀着。横須賀海軍工廠での修理再開16日館山回航17日、3217船団(3隻)を護衛して父島へ向け館山発。本艦途中で引き返し21日横須賀帰着1945年1月1日陸軍輸送船愛徳丸(大阪商船、1,332トン)、昭東丸西日本汽船、572トン)、1E型戦時標準貨物船第6洋丸(中村汽船830トンからなる第3231船団を第56号海防艦特設駆潜艇第2拓南丸(日本海洋漁業343トンと共に護衛して父島へ向け館山発。4日父島到着し同日復航4104船団護衛して父島発。5日航海中に東丸潜水艦からの雷撃を受け、ゆっくりと沈没していった。8日館山帰着横須賀回航後は20日まで横須賀整備1月23日、3122船団(3隻)を護衛して父島へ向け館山発。27日父島着。28日復航4127船団(2隻)を護衛して父島発。2月2日館山帰着2月9日、3208船団護衛して父島へ向け館山発。12日父島到着し同日復航4212船団護衛して父島発。15日から16日にかけて空襲を受け、船団は湊沖で仮泊18日横須賀帰着3月1日現在、軍隊区分直率部隊配置5日横須賀防備戦隊旗艦定められ軍隊区分東京湾北航路部隊配置同日本艦は第74海防艦とともに、さばん丸(三菱汽船10,241トン護衛のため横須賀出撃御前崎西方第三海上護衛隊にさばん丸の護衛引き継ぎ横須賀帰投6日竜神丸護衛して八丈島へ向け横須賀発。7日八丈島着。10日引き続き竜神丸護衛して八丈島発。11日横須賀帰着27日、第1南陽丸(所属不明451トン単独からなる第3327船団護衛して八丈島へ向け横須賀発。29日八丈島着。30日復航4330船団護衛して八丈島出港し同日館山帰着4月8日まで横須賀整備を行う。

※この「1944年12月-1945年3月 八丈島方面護衛」の解説は、「第四号海防艦」の解説の一部です。
「1944年12月-1945年3月 八丈島方面護衛」を含む「第四号海防艦」の記事については、「第四号海防艦」の概要を参照ください。

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