1944年1月〜3月 バート・テルツSS士官学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 10:14 UTC 版)
「アンリ・フネ」の記事における「1944年1月〜3月 バート・テルツSS士官学校」の解説
「1940年の敗北(フランス敗戦)は、多くのフランス人にとって恐るべき屈辱だった。精鋭部隊(ドイツ国の武装親衛隊)の一員になって東部戦線に出征することは、われわれにとって屈辱をはらすチャンスだった」 アンリ=ジョゼフ・フェネ(フネ) フランス国(ヴィシー政権)が1943年7月下旬に制定・公布した法律によってフランス人が武装親衛隊へ志願入隊することが公認された後、フランス人義勇兵の訓練は同年9月30日からアルザスのゼンハイム親衛隊訓練施設 (SS-Ausbildungslager Sennheim) で行われていた。 10月18日に入隊したアンリ・フネとその他の民兵団部隊長もゼンハイムで他の新兵と同じく訓練に従事したが、フネを含む20名以上のフランス人義勇兵は間もなく士官候補生として選抜され、1944年1月からミュンヘン南部のバート・テルツSS士官学校 (SS-Junkerschule Bad Tölz) で「フランス人将校用特別課程第1期」(1. Sonderlehrgang für französische Offiziere) を履修した。 バート・テルツSS士官学校において、フランス人士官候補生たちは武装親衛隊の灰色の制服に初めて袖を通した。フランス人士官候補生たちのほとんどは元フランス軍人であったため、祖国フランスを屈服させた宿敵ドイツの軍服を着る際に「少しも笑っていなかった」が、フネ(元フランス陸軍中尉)にとってはドイツの軍服を着ることについて特に問題は無かった。フネの言によると、「ソビエト連邦と戦うことが可能な軍服は他に無かった。悲惨な戦争中にあれこれ考えている暇は無かった」という。 フネはフランス人士官候補生の1人として1944年1月10日から3月4日までバート・テルツSS士官学校に在籍した。バート・テルツSS士官学校でフランス人士官候補生はドイツ人将校の指導の下、国家社会主義(ナチズム)の政治教育・世界観 (Weltanschauung) 教育を受けた。過酷な体育の合間の休息として座学を歓迎していたフランス人士官候補生たちの多くは授業内容に若干驚きつつも、「国家社会主義の敵」が何であるかを明確に叩き込まれた。 国家社会主義(ナチズム)の敵共産主義 平等主義 資本主義 複数政党制民主主義 フリーメイソン ユダヤ教 キリスト教 フランス人士官候補生がバート・テルツSS士官学校を卒業する際(もしくは卒業後すぐに)、かつてフランス軍将校であった者には当時の階級に等しいSSの階級が与えられた。アンリ・フネは1944年3月10日付でひとまずSS義勇少尉 (SS-Frw. Untersturmführer) に任官したが、1944年4月1日付で(フランス陸軍時代の階級に等しい)SS義勇中尉 (SS-Frw. Obersturmführer) の階級に昇進した。
※この「1944年1月〜3月 バート・テルツSS士官学校」の解説は、「アンリ・フネ」の解説の一部です。
「1944年1月〜3月 バート・テルツSS士官学校」を含む「アンリ・フネ」の記事については、「アンリ・フネ」の概要を参照ください。
- 1944年1月〜3月 バート・テルツSS士官学校のページへのリンク