第一南遣艦隊とは? わかりやすく解説

第一南遣艦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 03:44 UTC 版)

南遣艦隊」の記事における「第一南遣艦隊」の解説

第一南遣艦隊は、1942年昭和17年1月3日第三南遣艦隊新設に伴い先述南遣艦隊司令長官小沢治三郎中将)を改名したのである小沢司長官澤田参謀長など留任)。南遣艦隊任務引き継ぎ馬来部隊としてシンガポールの戦い蘭印作戦ニコバル諸島攻略ビルマ作戦支援した南方作戦終了後臨時編入されていた重巡鳥海などはミッドウェー作戦そなえて日本本土へ帰還した。第一南遣艦隊旗艦香椎戻った。第一南遣艦隊はシンガポール司令部を置き、マレー半島・インドシナ・ビルマ・ニコバル諸島アンダマン諸島根拠地隊置いた各地での局地戦空襲潜水艦戦)で小規模な損害重ねたが、主戦場とならなかったために、大規模な損害は受けなかった。 改称当時引き続き連合艦隊指揮マレー作戦蘭印作戦従事した1942年昭和17年4月10日、3個南遣艦隊連合した南西方面艦隊発足すると、南西方面艦隊指揮下に置かれた。1943年昭和18年4月15日南西方面艦隊司令部第二南遣艦隊司令部分離し、第一南遣艦隊は兵力部署において西方部隊となった太平洋戦争末期1945年昭和20年1月8日南西方面艦隊より第十三航空艦隊がのぞかれて第一南遣艦隊に編入され、第一南遣艦隊司令長官田結穣中将が第13航空艦隊司令長官兼任した同日附で第二航空艦隊司令長官福留繁中将参謀長菊池朝三少将)が解隊され、幕僚水上機マニラ脱出カムラン湾経由してシンガポール移動した福留は、第一南遣艦隊司令長官達が平時服装であることに「日本戦争地域にまだこんな平和な地が残っているのか」と感嘆したという。1月13日福留中将は第一南遣艦隊司令長官第十三航空艦隊司令長官任命された。 同時期、ルソン島マニラ司令部置いていた南西方面艦隊/第三南遣艦隊司令長官大川内伝七中将参謀長有馬馨少将)は、フィリピン地上戦巻き込まれ機能失った2月5日日本海軍第五艦隊司令長官志摩清英中将)を解隊し、第十方面艦隊司令長官福留繁中将参謀長朝倉豊次少将)を新編する。第一南遣艦隊と第二南遣艦隊南西方面艦隊からのぞかれて他部隊第十三航空艦隊第五戦隊など)と共に第十方面艦隊編入されて「西部方面部隊」となり、終戦まで駐留継続した戦艦水雷戦隊は、2月中旬実施され北号作戦により内地撤収したため、第十方面艦隊重巡4隻(羽黒足柄妙高高雄)と少数駆逐艦基地航空隊連合国軍反攻備えた制海権失われており、5月中旬にはニコバル諸島方面輸送作戦従事していた重巡羽黒撃沈され、駆逐艦神風小破した(ペナン沖海戦)。重巡足柄潜水艦雷撃失われたビルマ方面(第13根拠地隊司令官田中頼三少将)の戦局悪化する一方であった。 なお、第十方面艦隊司令部司令長官参謀長)はひきつづき第一南遣艦隊司令部および第十三航空艦隊司令部兼任した9月2日シンガポールにて南方陸海軍降伏式が行われた。

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