第二南遣艦隊とは? わかりやすく解説

第二南遣艦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 03:44 UTC 版)

南遣艦隊」の記事における「第二南遣艦隊」の解説

1942年昭和17年3月10日蘭印作戦目途がついたことで日本海軍第三艦隊司令長官高橋伊望中将)や麾下第五水雷戦隊司令官原顕三郎少将)等を解隊再編改称し、第二南遣艦隊を新編した(司令長官高橋伊望中将)。4月10日日本海軍第二段作戦方針に基づき戦時編制改定実施するこの中で南西方面全体統轄する南西方面艦隊新編した。南西方面艦隊は、三個艦隊第一南遣艦隊、第二南遣艦隊、第三南遣艦隊)を麾下に置き、また軍政担当した。第二南遣艦隊司令長官高橋伊望中将南西方面艦隊司令長官兼務した。 南西方面艦隊発足後も、第二南遣艦隊は東印部隊として引き続きインドネシア方面作戦従事した重巡洋艦足柄第十六戦隊名取鬼怒長良五十鈴)が発足当初主力艦艇だったが、はやくも4月長良第十戦隊旗艦転用され、9月下旬には五十鈴第二水雷戦隊旗艦引き抜かれてしまった。最初1年間は、南西方面艦隊司令部の直卒部隊として司令部兼任していた。9月15日、第二南遣艦隊司令長官南西方面艦隊司令長官兼任)は高橋中将から高須四郎中将交代した1943年昭和18年1月中旬にはアンボン島港外軽巡名取潜水艦雷撃空襲大破、第二南遣艦隊の大型艦船は足柄軽巡2隻のみとなる。4月15日、第二南遣艦隊司令長官岩村清一中将任命され南西方面艦隊司令部分離した高須中将南西方面艦隊長官専任)。足柄第十六戦隊南西方面艦隊直率部隊となり、第二南遣艦隊は軍政関係を主に担任することになった。第二南遣艦隊は軍隊区分において東印部隊となったこの頃から連合軍空襲激しくなった。 第二南遣艦隊はボルネオ島セレベス島スンダ列島・西ニューギニア管轄したが、広大すぎることから11月30日第四南遣艦隊新編し(南西方面艦隊麾下)、東部管轄区域移譲した大規模な戦闘経験せず、潜水艦攻撃機動部隊空襲によって消耗した1945年昭和20年2月5日第十方面艦隊新編にともない上述)、第一南遣艦隊と第二南遣艦隊は南西方面艦隊からのぞかれて第十方面艦隊編入された。また第四南遣艦隊同年3月10日解散したが、麾下部隊は第二南遣艦隊に復帰することなく第十方面艦隊直卒となった

※この「第二南遣艦隊」の解説は、「南遣艦隊」の解説の一部です。
「第二南遣艦隊」を含む「南遣艦隊」の記事については、「南遣艦隊」の概要を参照ください。

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