おは丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 08:14 UTC 版)
元は1928年(昭和3年)3月27日に神戸製鋼播磨造船工場(後の播磨造船所)で竣工した、北樺太石油(英: Northern Karafuto Oil Consession)所有の「おは丸」。総トン数は995トン。2つの一等客室を有する小型貨物船で、タンカーではない。竣工後は北海道と、オハなど北樺太の港町との作業員や物資の往来に使用される。収容可能人数は一等客室利用者に限れば5名だが、それとは別に140名あるいは265名収容という記録が残っている。ソビエト連邦成立、シベリア出兵の後、オハなど北樺太においても共産主義が広がる懸念があり、船員や在オハの日本人労働者の所謂「アカ化」に関する内偵もしばしば行われた。1941年(昭和16年)に太平洋戦争が勃発すると、通常航海の傍らで特殊任務に従事することもあった。昭和16年11月28日から1942年(昭和17年)7月3日までは佐世保鎮守府所管の海軍一般徴傭船として、第三艦隊および第二南遣艦隊に属して行動。1943年(昭和18年)3月31日夜には、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度51分 東経130度15分 / 北緯33.850度 東経130.250度 / 33.850; 130.250の玄界島近海で貨物船南進丸(石原産業海運、4,806トン)と衝突し、救難作業の甲斐なく南進丸を沈没させる事故を起こした。
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