第二号新興丸大破
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 22:30 UTC 版)
続いて午前5時13分頃、大泊からの疎開者約3,400名を乗せ小樽へ向っていた特設砲艦第二号新興丸(2,700トン)が留萌沖北西33キロの海上で、ソ連の潜水艦L-19からの魚雷を右舷船倉に受け縦約5m・横約10mの穴が開いた。さらにこの直後に浮上した潜水艦により銃撃を受けたため、やむなくこれに応戦した。同艦は1941年(昭和16年)に海軍に徴用され特設砲艦として宗谷海峡付近で機雷敷設の任務に就いていた艦であるため、12センチ砲2門と25mm対空機銃の装備があった。 この攻撃によって、第二号新興丸は船体に大きな損害を受けたが機関に異常はなかったため最寄りの留萌港に入港した。船内で確認された遺体は229体。行方不明者も含めると400名近くが犠牲となった。事件後、第二号新興丸は修理・改装され1966年(昭和41年)まで国内で商船として使用され、その後パナマに売却された。
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