第四南遣艦隊
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1943年(昭和18年)後半になると、日本軍はオーストラリアで反撃体制を整えた連合軍のフィリピン攻略に備えなくてはならなくなった。日本陸軍は10月30日に第2方面軍(司令官阿南惟幾陸軍中将)を豪北方面に転用し、日本海軍も11月1日に第26特別根拠地隊を新編した。11月30日、第二南遣艦隊を二分割し、東部方面の防衛を担当するために編制したのが第四南遣艦隊である。司令長官は山縣正郷中将。司令部はアンボン島に置かれた。スンダ列島やバンダ海周辺の島嶼部の防衛を担当した。1944年(昭和19年)の初期のうちに、第四南遣艦隊から西ニューギニアへの増援部隊を抽出することが決まり、同年5月、第九艦隊の本拠地ホーランディアが陥落する直前に、編制が完了したばかりの第28特別根拠地隊をビアク島に派遣した。しかしビアク島も連合軍の直撃を受け、半年間の籠城戦の末に玉砕した。その後連合軍はフィリピンに上陸したため、第四南遣艦隊は遊兵化した。 1945年(昭和20年)2月5日の第十方面艦隊新編時、日本陸軍と日本海軍は「南方方面作戦に関する陸海軍中央協定」を結ぶ。陸上防衛に関し、南方軍は第十方面艦隊と第四南遣艦隊を指揮することになった。第四南遣艦隊は3月10日に解散し、第十方面艦隊に吸収された。元司令長官の山縣中将は内地へ帰還中、搭乗機の遭難により消息不明になった。
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