第四原発をめぐる台湾の歴史年表
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「台湾第四原子力発電所」の記事における「第四原発をめぐる台湾の歴史年表」の解説
日本から輸出された台湾第四原子力発電所とその歴史的経緯を示す事項を含んだ台湾の年表。 時期事項1946年5月 台湾電力公司設立 1966年 貢寮で原発建設が計画されたが地元の反対、道路が未開設などのため中断 1977年 台湾電力公司、政府経済部(日本の経済産業省)監督下の政府出資株式会社となる 1979年 台湾NPT、IAEAから脱退 1980年5月 台湾電力が貢寮を台湾第四原発予定地に選定 1982年 台湾第四原発の用地が強制収用され、230戸が強制転居 1985年 張国龍教授らが貢寮住民に原発の危険性を広める 1987年 立法院が予算委員会の審査通過を条件として第四原発の予算を凍結 1988年 台湾環境保護連盟が30数個の団体からなる反核連合会を結成原子力研究所副所長が米国へ亡命。原爆製造のためにプルトニウム抽出を試みていたことが発覚 1988年3月 台湾電力が住民説明会開催。翌日貢寮住民が第四原発を受け入れたと報じられる。これに対し貢寮住民が予定地前でカレンダーを燃やすなど抗議行動。 塩寮反核自救会結成。1500人が参加し現地でデモ行進 1989年4月 50を超える環境保護団体5千人がデモ。経済部に抗議 1990年3月 李登輝総統再任 1991年5月 2万人デモ実施。総統府、行政院に陳情。 1991年9月 原子力委員会が反対する委員に知らせず秘密裏に審査を通過させたことに抗議し、塩寮反核自救会が予定地で抗議行動、長期化する。 1991年10月 自救会会長が警官に殴られたことにより衝突。警官1名死亡。17名が逮捕される1003事件発生。 1993年3月 立法院に反核の請願を行う 1993年4月 汚染マンションの住人が癌・白血病などの健康被害について告訴し勝利 1993年6月 立法院の委員会が票決実施を表明。千人が座り込み活動。数百人が立法院に進入し衝突。 1993年7月 76対57で8年分の予算案通過。澳底では漁船による抗議行動などが実施。 1994年5月 貢寮郷(当時)で第四原発の是非について投票実施。反対が96%以上。2万人デモ台北で実施。台北県の投票では88%が反対、隣の宜蘭県では64%が反対。 1994年6月 台北県(当時)の委員を罷免する活動を実施。立法院で予算が通過。建設に必要な予算がこれで通過。 1994年7月 後に民進党党首となる林義雄が国民投票実施を訴えてハンガーストライキ 1994年9月 林義雄により「核四公投・千里苦行」開始 1995年5月 自救会、台湾環境保護連盟、学生など500名以上が予定地前に泊まり込み抗議。「反核大露営」 1995年9月 第3回ノーニュークス・アジア・フォーラム (NNAF) が台湾で開催。3万人の国際デモ実施。 1996年5月 民進党の議員が提出した原発廃止法案が立法院を通過 1996年10月 国民党が上記法案を否決する案を提出したことに抗議。第四原発入り口で24時間にわたって警官隊と対峙後、強制撤去を受ける。4日後無記名投票により国民党の案が成立。 1997年3月 日本から第四原発の原発部品が出荷。日本製品のボイコット活動開始 1997年6月 通産省が「原発の安全性確保についての一次的責任は運転国にあることをロンドン条約は定めている」と明言(台湾はロンドン条約に批准していない)。 1997年9月 原発部品が到着。100隻以上の漁船が海上デモ、原発模型を焼くなどの抗議行動実施 1997年11月 敷地内に先住民ケタガラン族の遺跡があると記者会見 1998年1月 米国からの「口上書」を日本が受領。台湾が核兵器に転用しないことなどを保障できるとした 1998年10月 漁業補償問題について台湾電力に抗議 1998年 台湾電力が「初期安全分析報告」提出 1999年1月 核施設安全諮問委員会が「初期安全分析報告」を承認 1999年3月 学生により監察院でハンガーストライキ原発建設現場付近の漁業権が強制的に取消原子力委員会が建設許可を出す 1999年4月 100万KWから135.6万KWへ計画変更されたのに環境影響調査をやり直さなかったことに関して監察院が原子力委員会、環境庁を批判台北県が台湾電力に対し建設土の汚染を指摘、2年間の工事停止を命じた台湾電力は逆に台北県を行政訴訟。台北県は台湾電力の役員を検察署に告訴 2000年5月 総統就任と非核国家を祝うデモ実施 2000年10月 再検討委員会の協議結果を受け、行政院が工事中止を表明 2000年11月 住民・市民グループが工事中止を支持するデモを実施 2001年2月 行政院工事再開を表明。住民・市民グループが国民投票を求めるデモ実施 2002年9月 第10回NNAF 台湾で開催。開会あいさつを林義雄が行う。「核四公投・千里苦行」第三波開始。9ヶ月をかけて台湾全土を回る 2003年2月 福隆の海岸の砂が第四原発の建設工事により失われているとして抗議の会見 2003年6月 住民・環境保護団体の抗議の中、日本から輸出された1号機の炉心が上陸 2004年7月 日本から輸出された二号機の炉心が上陸。埠頭において抗議行動 2005年6月 第11回NNAF 台湾で開催。 2010年3月 1号機中央制御室で火災。ほぼ全焼 2010年9月 第13回NNAF 台湾で開催 2013年2月25日 江宜樺行政院長により台湾全住民による住民投票で建設の是非を問う方針が表明。実施予定は8月 2013年3月9日 大規模デモ「309全國廢核遊行」が実施 2014年4月27日 反対運動が高揚する中、馬英九総統は1号機の稼働凍結と2号機の工事停止を表明
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