第四原発をめぐる台湾の歴史年表とは? わかりやすく解説

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第四原発をめぐる台湾の歴史年表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:24 UTC 版)

台湾第四原子力発電所」の記事における「第四原発をめぐる台湾の歴史年表」の解説

日本から輸出され台湾第四原子力発電所その歴史経緯を示す事項含んだ台湾年表時期事項1946年5月 台湾電力公司設立 1966年 貢寮原発建設計画されたが地元反対道路未開設などのため中断 1977年 台湾電力公司政府経済部日本の経済産業省)監督下の政府出資株式会社となる 1979年 台湾NPTIAEAから脱退 1980年5月 台湾電力貢寮台湾第四原発予定地に選定 1982年 台湾第四原発用地強制収用され、230戸が強制転居 1985年 張国龍教授らが貢寮住民原発危険性広め1987年 立法院予算委員会審査通過条件として第四原発予算凍結 1988年 台湾環境保護連盟30数個団体からなる反核連合会結成原子力研究所副所長米国へ亡命原爆製造のためにプルトニウム抽出試みていたことが発覚 1988年3月 台湾電力住民説明会開催翌日貢寮住民第四原発受け入れた報じられる。これに対し貢寮住民予定地前でカレンダーを燃やすなど抗議行動。 塩寮反核自救会結成1500人が参加し現地デモ行進 1989年4月 50超える環境保護団体5千人デモ経済部抗議 1990年3月 李登輝総統再任 1991年5月 2万デモ実施総統府行政院陳情1991年9月 原子力委員会反対する委員知らせず秘密裏審査通過させたことに抗議し、塩寮反核自救会が予定地で抗議行動長期化する。 1991年10月 自救会会長警官殴られたことにより衝突警官1名死亡17名が逮捕される1003事件発生1993年3月 立法院反核請願を行う 1993年4月 汚染マンションの住人が癌・白血病などの健康被害について告訴し勝利 1993年6月 立法院委員会票決実施表明千人座り込み活動数百人が立法院進入し衝突1993年7月 76578年分の予算案通過澳底では漁船による抗議行動などが実施1994年5月 貢寮郷当時)で第四原発是非について投票実施反対96%以上。2万デモ台北実施台北県投票では88%が反対、隣の宜蘭県では64%が反対1994年6月 台北県当時)の委員罷免する活動実施立法院予算通過建設必要な予算がこれで通過1994年7月 後に民進党党首となる林義雄国民投票実施訴えてハンガーストライキ 1994年9月 林義雄により「核四公投・千里苦行開始 1995年5月 自救会、台湾環境保護連盟学生など500名以上が予定前に泊まり込み抗議。「反核露営1995年9月 第3回ノーニュークス・アジア・フォーラム (NNAF) が台湾開催。3万人国際デモ実施1996年5月 民進党議員提出した原発廃止法案立法院通過 1996年10月 国民党上記法案否決する案を提出したことに抗議第四原発入り口24時間わたって警官隊対峙後、強制撤去を受ける。4日無記名投票により国民党の案が成立1997年3月 日本から第四原発原発部品出荷日本製品ボイコット活動開始 1997年6月 通産省が「原発安全性確保についての一次的責任は運転国にあることをロンドン条約定めている」と明言台湾ロンドン条約批准していない)。 1997年9月 原発部品到着100隻以上の漁船海上デモ原発模型を焼くなどの抗議行動実施 1997年11月 敷地内先住民ケタガラン族遺跡があると記者会見 1998年1月 米国からの「口上書」を日本受領台湾核兵器転用しないことなどを保障できるとした 1998年10月 漁業補償問題について台湾電力抗議 1998年 台湾電力が「初期安全分析報告提出 1999年1月 核施設安全諮問委員会が「初期安全分析報告」を承認 1999年3月 学生により監察院ハンガーストライキ原発建設現場付近漁業権強制的に取消原子力委員会建設許可を出す 1999年4月 100万KWから135.6KW計画変更されたのに環境影響調査をやり直さなかったことに関して監察院原子力委員会環境庁批判台北県台湾電力対し建設土の汚染指摘2年間の工事停止命じた台湾電力逆に台北県行政訴訟台北県台湾電力役員検察署に告訴 2000年5月 総統就任非核国家を祝うデモ実施 2000年10月 再検討委員会協議結果を受け、行政院工事中止表明 2000年11月 住民市民グループ工事中止支持するデモ実施 2001年2月 行政院工事再開表明住民市民グループ国民投票求めデモ実施 2002年9月 第10回NNAF 台湾開催開会あいさつ林義雄が行う。「核四公投・千里苦行第三波開始。9ヶ月をかけて台湾全土を回る 2003年2月 福隆の海岸の砂が第四原発建設工事により失われているとして抗議会見 2003年6月 住民環境保護団体抗議の中、日本から輸出され1号機炉心上陸 2004年7月 日本から輸出され二号機炉心上陸埠頭において抗議行動 2005年6月 第11回NNAF 台湾開催2010年3月 1号機中央制御室火災。ほぼ全焼 2010年9月 第13回NNAF 台湾開催 2013年2月25日 江宜樺行政院長により台湾住民による住民投票建設是非を問う方針表明実施予定8月 2013年3月9日 大規模デモ309全國遊行」が実施 2014年4月27日 反対運動高揚する中、馬英九総統1号機稼働凍結2号機工事停止表明

※この「第四原発をめぐる台湾の歴史年表」の解説は、「台湾第四原子力発電所」の解説の一部です。
「第四原発をめぐる台湾の歴史年表」を含む「台湾第四原子力発電所」の記事については、「台湾第四原子力発電所」の概要を参照ください。

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